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白山神社
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詳細
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万治三年三月信徒十二人にて奉勧請。天明八年十一月再建。・・・・・・・・・・ |
509-7202 岐阜県恵那市東野字小野川新田2368番地の2 |
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恵那市支部 1568 |

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白山神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-2601 岐阜県関市武芸川町谷口1465番地 |
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武儀支部 2578 |

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白山神社
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詳細
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当神社の創立は不詳なるも里説に上古この地開発の時に國魂神を奉祀せし神社なりしが後嵯峨天皇建長七年河上荘(当地方の苗郷名を河上と云ふ)を白山社別当美濃國郡上郡長瀧寺の領として下賜の綸旨ありしより其使僧が白山神を勧請合祀せしより古伝を失ひしものなりとぞ。古来当区の産土神にて文政九年六月改築明治四年九月村・・・・・・・・・・ |
506-0059 岐阜県高山市下林町2387番地 |
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高山市支部 1697 |

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白山神社
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創立年月日不詳なるも、長享年間建立か、それ以前のものと思はる。古来郷人五社巡りと称し、村内村社安弘見神社、無格社内理神社同田原神社、同奥渡神社と当社を巡拝する風習あり。棟札に「上棟濃州賀茂郡安弘見郷今村白山御社檀上葺檀那藤原板津若狭貞久並鍛冶浄心、長享二年戊申年十月三日謹録之」を始め「上棟濃州賀茂郡・・・・・・・・・・ |
509-8301 岐阜県中津川市蛭川字今洞588番地の1 |
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中津川市支部 2285 |

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白山神社
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創立年代は不詳である。承久年間「今宮さま」と称した。正平年 椋椅(くらはし)某、この地に来り住んだが、厚く神を崇敬して荒廃した本殿を整備し、後に加賀白山別当、僧徒が「勧化回壇」と称して、社殿の営繕に際し、祭神を改めて白山権現とした。江馬小四郎平時経以来、同家累世の崇敬また厚く、文明年間に特に同家右兵・・・・・・・・・・ |
506-1315 岐阜県高山市上宝町荒原352番地 |
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吉城郡支部 1283 |

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白山神社
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里伝に、往古本村村民この地に於いて洲原神社祭神の戦禍を援け参らせた賞として、旱天には需に応じ雨を給へるとの約束を受けしとの事。以来旱天には雨乞の祈願をなし、盛んなる雨乞い踊を行ふ。古来雨乞踊をして降雨無き事なし。満願には本社と仰ぐ武儀郡洲原神社に遠路数百の村民厳格なる古式を守り礼踊りに参る。この行事・・・・・・・・・・ |
501-3803 岐阜県関市西本郷通7丁目14番12号 |
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関市支部 879 |

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白山神社
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元和六年大ヶ洞里庄今井次良左ェ門忠親の創立する所なり。再建は元禄九年十二月今井信俊造営す。この時氏子中同志す。享保十九年初秋今井勘次郎信道同権太郎忠良願主となり上葺をなす。宝暦八年十二月今井佐兵ェ同十兵ェ願主となり再建す。寛政五年十一月再建し次々文化三年九月氏子中より営繕す。後再建の願主今井久太郎世・・・・・・・・・・ |
509-2512 岐阜県下呂市萩原町大ケ洞1331番地 |
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益田支部 318 |

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白山神社
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創立年月不詳。寛延三年、正保五年四月、元文五年九月の棟札あり。・・・・・・・・・・ |
502-0011 岐阜県岐阜市長良古津字中河戸150番地 |
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岐阜市支部 1178 |

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白山神社
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由緒不詳と雖も古老の口碑に依れば往古当村に当郡長滝村天台宗長瀧寺末の梵刹あり。夫れが住僧たる光雄と申し者右長瀧寺の白山大神を勧請し来りたる由その後故ありて該刹の衰滅して白山大神の神体のみ残りあるを天正三年道場跡則ち現今の地に一社を建立右神体を奉祀して氏神となす。・・・・・・・・・・ |
501-4306 岐阜県郡上市明宝畑佐517番地 |
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郡上市支部 1453 |

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白山神社
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神社由緒不詳。此の地高峰の麓に僅かの平地あり。前には高原川の激流水崖巌壁突立し、後ろは高峰立聳して尺寸の余地なし。西南北の三方を立ち塞ぎて最も嶮岨の地なり。中古船津町の産人新井某此の地に来たりて初めて耕地を開き、農業を稼牆する。誘引の人々家を造りて建ち並びて一村となる。諸人此の地理を差して割石村と称・・・・・・・・・・ |
506-1112 岐阜県飛騨市神岡町割石308番地 |
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吉城郡支部 1227 |

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