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八幡神社
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詳細
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往古当村を泉江荘と称し延久四年九月五日太政官牒に依り石清水八幡の荘園となるや荘内に其御分霊を祀れるものにして七堂伽藍ありしを信長放火し終に焼失す 故に其跡に灰塚あり経二間高三尺ありて全鋲古瓦の残片を発掘せしことあり 或いは本社より一町東に西宮神ありしよし現今爰を字西宮神と云ふ 又大川先に古池あり昔よ・・・・・・・・・・ |
503-2426 岐阜県揖斐郡池田町八幡字中道1747番地 |
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揖斐郡支部 3072 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0604 岐阜県揖斐郡揖斐川町大光寺142番地の2 |
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揖斐郡支部 2953 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳なれども、往古より氏子の敬神の念厚し。措定村社たり。・・・・・・・・・・ |
503-2326 岐阜県安八郡神戸町中沢字村中595番地の1 |
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安八郡支部 119 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳なれども、往古より氏子の敬神の念厚し。措定村社たり。・・・・・・・・・・ |
503-2319 岐阜県安八郡神戸町前田字村添81の1 |
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安八郡支部 112 |

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八幡神社
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此の社、往古は智勝院境内にありしが、其の後練山和尚の時に至り、阿弥陀寺出町の氏子より寺の社なりとて取り上げしかば、出町の百姓等従来の関係を説き、百方鎮守と致し庶由願ひ出てたれども、遂に之を許さざりければ、寛永十三年庄屋山田甚右ェ門、出町の氏子と議り、同社の脇に小社ありしを、其の北に遷し、氏子の惣氏神・・・・・・・・・・ |
501-1177 岐阜県岐阜市中西郷966番地 |
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岐阜市支部 1095 |

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八幡神社
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創建年紀不詳。享和四年九月農州安八郡中須村明細帳に左の記録あり。一、氏神 一社 村持 八幡宮 境内七畝歩 御年貢地??一石一斗。文化二年濃陽村々明細記中須村の條に左の記録あり。一、八幡宮 社三尺五寸三尺五寸 境内七畝歩 御除地。 境内稲荷神社は安政四年正月創立す。・・・・・・・・・・ |
503-0126 岐阜県安八郡安八町中須6番地 |
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安八郡支部 52 |

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八幡神社
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詳かならざるも往古より氏子の敬神の念厚し。指定村社たり。・・・・・・・・・・ |
503-0008 岐阜県大垣市楽田町字宮前1792番地 |
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大垣市支部 1936 |

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八幡神社
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由緒不詳なれど、神實及社殿の裏に古墳のあるを見れば相当の古社と身と認む。・・・・・・・・・・ |
503-2122 岐阜県不破郡垂井町表佐837番地の1 |
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不破郡支部 2564 |

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西郡神社
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嘉応二年八月創祀。本社は人皇八十代高倉天皇の御宇嘉応二年八月従五位下栗戸太夫尉小川経元公江州宇津宮城より農州安八郡曽根城に移り続いて農州静導寺(即ち科村後志名村)に転居し、八幡大神を勧請創建したるものなり。土御門天皇の御宇元久二年八月領主西郷司田加宮公は西郡井水組合なる上野・島・長良・清水・福島・中・・・・・・・・・・ |
501-0562 岐阜県揖斐郡大野町松山小字志名130番地 |
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揖斐郡支部 2942 |

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八幡神社
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貞和元年三月足利義詮将軍当輪中水難鎮護のために男山八幡宮の分霊を勧請す。其の後織田信長公の領地となりし時、輪中水難鎮護を祈らんとて其の崇敬浅からず。神霊等寄付ありしと云ひ傳ふ。近世徳永法印松平義建公も崇敬せられ、何れも輪中の総社又第一の旧社なりしこと知られたり。境内二反三畝十四歩あり。・・・・・・・・・・ |
503-0617 岐阜県海津市海津町立野字1番縄1番地 |
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海津市支部 713 |

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