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森越八幡神社
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当社元八幡神社と称し、其の創立年月不詳。明治維新村社に列し、同四十二年六月日和田八幡神社へ合併合祀せり。然るに昭和二十二年四月二十四日付を以て神社本庁所属として旧地に再建創立して森越八幡神社と称す。・・・・・・・・・・ |
509-3404 岐阜県高山市高根町小日和田字東垣内297番地 |
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大野支部 2201 |

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八幡神社
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元郷社應神天皇を祀る延長8年石清水八幡宮を勸請し、康平6年源義家本社及び末社を再建したと伝えられる。鎮座地は石清水八幡宮御願塔院領として有名な明智荘で既に承暦2年12月の文書にその名が見える、本社はかかる関係から勸請奉祀せられた古社である、後長祿3年に斎藤利永入道妙椿は社殿を修造営したと伝えられてい・・・・・・・・・・ |
505-0122 岐阜県可児郡御嵩町顔戸1172番地の1 |
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可児支部 561 |

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八幡神社
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福手兵部少輔生國は出雲の国其の時大乱世にて処々の武士度々戦ひ故に治承二年福手氏産れ國立ち退き代々の氏神八幡宮を供奉して当郡相先村内もと祖手村に城を築き暫く居住し、養和元年当郡西乙原村花庵の城に移り其の時下屋敷を各地に建て然して当社を安置し、承元二年亦当地字中岩山に遷座す。夫れより当地の氏神となせりと・・・・・・・・・・ |
501-4103 岐阜県郡上市美並町山田1646番地の1 |
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郡上市支部 1378 |

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垂井神社
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創祀未詳なれど、日本武命の眼病並足を洗浄され、保養されたと伝へられ、俳聖芭蕉の古句あり。聖武天皇の行幸せられたと伝へらる。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町1351番地の1の2 |
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不破郡支部 2537 |

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八幡神社
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創立年月は不詳なるも奥村家蒼祖の建立にして、文化三年以来氏子の総意により、社殿の改築をなし、殊に境内には近郷希に見る老樹ありて、神域の尊厳を保ち崇敬厚し。・・・・・・・・・・ |
501-6121 岐阜県岐阜市柳津町上佐波1丁目41番地 |
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羽島支部 195 |

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八幡神社
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創祀不詳。由縁不詳。昭和二十五年六月山添、文殊村を本巣村と改称合村。・・・・・・・・・・ |
501-1203 岐阜県本巣市文殊西ノ門1134・1207番地 |
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本巣郡支部 2823 |

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六社神社
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創立天正9年辛巳年12月15日とあれども恐らく往古より此の真福寺部落の各所に奉斎ありし六ヶ所の神社を現在の一社に合祀せし時が天正9年にして社名も六社と称しならむ。天正九年辛巳年12月15日當村住人中村一輔創立寛永18辛巳年8月再営、享保19年寅年8月再営、寳暦9己卯年6月修理、文化13丙子年4月再営・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良真福寺字六本松3146番 |
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岐阜市支部 1184 |

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八幡神社
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創祀未詳なれども、御輿の内に弘安五年五月、本願比久尼蓮意趣者先年子息甚太郎当病平癒立願也と記す。亦延文元年十一月三日再興、願主沙弥道円と記せり。濃陽志略に八幡祠放生寺之を掌る。天正自由三年二月二十日図録古記焼失と記せり。実にこの時古記焼失しけん。幸いに御輿は社内にあらざるを以て火災を免れたるものなる・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利1017番地 |
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可児支部 602 |

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八幡神社
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元和八年九月創祀。八幡神社、村内古老の口碑に元和八年九月創立と云ふ。その他縁由沿革不詳。若宮八幡神社村内古老の口碑に承応二年九月創立と云ふ。その他縁由沿革など不詳。・・・・・・・・・・ |
501-3957 岐阜県関市側島字東島675.676.677番地 |
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関市支部 918 |

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八幡神社
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寛永十四年本殿と共に古書類焼失し、創立年月日不詳。縁由不詳。口碑によれば本殿焼失前殊に神威厳烈大門通行の諸人皆下馬せりと云ふ。偶々乗馬通行する時は落馬する者多く、為に後代神威を汚すを畏れ、大門を現状に短縮せりと云々。本殿は寛永十四年焼失直後直ちに仮殿を造営安置し奉り更に万治三年本殿を造営し、次て享和・・・・・・・・・・ |
501-0234 岐阜県瑞穂市牛牧字宮下166番地の1 |
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本巣郡支部 2694 |

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