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勝速神社
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当社創建年月日は不詳なりと雖も、神威赫々著明なることは昔より社伝或いは人口に残て太々釈然たること之往昔当村は当國の國村都会にして繁盛の地なりしと云々。(但した昔は別府を鼈浮とも書きしことあり。然らば、鼈浮し音別府を倣りしにや。其先後未だ詳ならず。和名抄当國当郷の地名に遠市、安堵、美濃、穂積と連続せし・・・・・・・・・・ |
501-0222 岐阜県瑞穂市別府字堤内参ノ町501番地の1 |
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本巣郡支部 2675 |
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若宮神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
504-0928 岐阜県各務原市山脇町字仲張619.620番地の1の1 |
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各務原市支部 803 |
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姥神社
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創立年月日不詳にして棟札等に依れば、天和三年十月八日奉納又享禄十一年六月吉日姥大権現ともあり。創建せられよりは相当の年月を経過せるものと推察せらる。古老の口碑に依れば当神明神社は往昔姥神社と称へたるも、中古に於いて神社社標建設に当たり氏子の寄進者村外居住者にして社標注文に当たり姥神社名を忘れしに石工・・・・・・・・・・ |
501-2301 岐阜県山県市神崎1984番地 |
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山県市支部 1800 |
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畑繋神明神社
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宝暦5年(1755)に薩摩藩によって完成された大榑川洗堰のために、柳津は逆にたびたび水害に悩まされるようになりました。出水時には水位の高くなった長良川から、濁流が支流の境川に逆流するようになったからです。そこでその水害を防ぐためにつくられたのが畑繋堤でした。この堤防の建設に尽力した酒井七左衛門の功績・・・・・・・・・・ |
501-6115 岐阜県岐阜市柳津町丸野2丁目171番地 |
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羽島支部 198 |
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椿山神社
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寛文七年八月創立。旧は椿の森と唱へ来りしを明治十一年村内各社を茲に合祭し、許可に依り爾後村社椿山神社と称す。・・・・・・・・・・ |
509-7208 岐阜県恵那市笠置町姫栗字中切867番地 |
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恵那市支部 1584 |
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七社神社
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創立旧記伝来無之故に不詳と雖も氏子家記を見るに古来は各別社なりしに天正二甲戍年二月十五日字西ケ花諏訪明神へ字杉森八幡大明神を移し奉る其際に伊勢大神 春日 加茂 津島 稲荷 の五柱を一所に合祀し七社宮と改称せし由也 其以前八幡大神は字杉森に鎮座あり再創立は文明六甲午年二月十五日と記せり 此の八幡は古来・・・・・・・・・・ |
501-2105 岐阜県山県市高富2508番地 |
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山県市支部 1743 |
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神明神社
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藤原資朝権大納言俊光の子にして家を日野と号す。説書文作筆述を以て世に現れ累進して権中納言となり、後醍醐天皇の時北条氏討滅を図り藤原俊基とこれが謀主となり、北条氏の暴政は国民を苦しめるを以て政治奉還をさすべく正和二年八月十一日美濃に潜行し来り美濃の土岐頼兼多治見國長と事を謀り富山、飛騨、伊勢、尾張の強・・・・・・・・・・ |
504-0905 岐阜県各務原市蘇原六軒町4丁目2番地 |
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各務原市支部 784 |
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神明神社
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創立年代不詳。当社は村上神社の境外社十七社の内の一社で、明治46年6月國の進めにより、村上神社に合併せしも、戸田采女正による、元禄除地帳四畝歩村抱神明宮地とありこの頃、一重ヶ根集落に伊勢講九組あり交代で各一組が伊勢神宮に代参し、集落全戸のお札大麻を受けて帰るその日、村人皆村境迄神楽、鉦打ち(鶏芸打岐・・・・・・・・・・ |
506-1432 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷一重ケ根字中垣内687番地 |
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吉城郡支部 3364 |
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広瀬神社
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白鳳五年四月一日創祀。一、本社は創立当時は天照大神を祭れり。一、大同二年当地字金堀より現在の地に遷し奉れり。一、文永元年宇多源氏の末流廣瀬氏重(当地の領主当神社を崇敬し、其の祖宇多天皇、藤原温子、敦實親王、同妃の四柱を合祀し、五社大明神と称せり。一、文永三年六月十八日亀山天皇より正一位の神階北谷大神・・・・・・・・・・ |
501-0902 岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬2803番地 |
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揖斐郡支部 3014 |
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水神神社
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元禄年間鎮座の記録あり。この年間に大洪水がおこり、住民が社殿に縄をかけ、川下に引くが、現在地に至る時に社殿動かず、里人神意なりと受け此の地を社地と成す。大洪水にもかかわらず社殿敷地には害なく、水神として徳高しと崇敬を集める。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木7834番地 |
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中津川市支部 2217 |
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