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上田神社
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慶長十四年十月創祀。・・・・・・・・・・ |
509-1113 岐阜県加茂郡白川町三川3075番地の1 |
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加茂郡支部 511 |

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大八柱神社
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詳細
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創祀未詳なり。里伝に曰く、当社は天正十年十月吉城郡高原郷諏訪城主江馬輝盛敗亡の時夫人某氏常に信仰する住吉明神の御霊代の神鏡を奉じて傅人横山盛方に導かれ辛くして当地に遁れ来り農家に潜伏し、後一祠を営みたりと云ふ。又云ふ。当神社は江馬一族累代の尊崇する神社にして寿永二年備前守平忠盛男修理大夫経盛の末子と・・・・・・・・・・ |
506-2131 岐阜県高山市丹生川町大萱字宮垣内740番地 |
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大野支部 2152 |

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白山神社
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創祀不詳なれども、古老の口碑に、同組字白土白山神社同体の神なり。神の論に従ひて当社を勧請す。大凡百年前流病に罹り患ふ者人民半数に余る。之に因りて当社に祈るに速やかに平癒す。その時礼参りの日を以て今に九月二十三日参拝すると云ふ。明治四十年六月中字古滝村社白山神社白土村社白山神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
506-1307 岐阜県高山市上宝町双六788番地 |
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吉城郡支部 1273 |

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白山神社
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当神社の創建由緒は書類散逸して詳ならずと雖も、里伝に依れば養老年中地方領主の創立にして、現今の社地より西の方宮谷と云ふ所にあり。その後貞享四年現今の地に移し、其の後足利氏の末葉に及び当区に居城せし小川但馬守は特に当社を崇敬し、現今の本殿など再建せりと云ふ。而して当神社境内には周囲二丈に及ぶ老樹枝を交・・・・・・・・・・ |
501-0701 岐阜県揖斐郡揖斐川町小津3003番地 |
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揖斐郡支部 2999 |

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一色白山神社
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創立不詳。往古より社地を字神田、御手洗と称し、古墳形岩石山口に鎮座して御母衣、森茂、白山と共に白川白山三社の一なりと称せられ、亦黒谷、三尾河白山と共に分祀創立せりとも里伝に云へり。中古元久二年七月十七日再建。以来造営屡々にして歴代国主代官郡代等越前支配に赴く途中当村三島家に宿泊して、必ず社参を例とし・・・・・・・・・・ |
501-5415 岐阜県高山市荘川町一色字神田26番地 |
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大野支部 2106 |

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六所神社
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創祀未詳なれども、里説に曰く、該地白山権現の在しに村内散在せし五社を合祀して新宮六所の社号とす。五社の旧地と称する所今尚指呼に存せり。稲荷社、山神社、地神、女体社、沢神。以上なり。白山社鎮座及び五社合祀年暦未詳。天文六年本社再興の棟札現存す。新宮六所大明神宝殿と記載之有り。村内旧名中呂村と云ふ。明治・・・・・・・・・・ |
509-2514 岐阜県下呂市萩原町中呂954番地 |
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益田支部 319 |

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楢尾神明神社
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当社の創建は棟札によると「永禄六年十一月十六日、新建立本願人、森清左衛門」とある。
この地は楢尾山の中腹にあって、戦国時代郡上郡馬瀬郷に行く国境の要害地にあたるため、見張城として楢尾城(甘草城)の砦があり、また、山麓には日和田峠口の関所があった。この地を跡津村「古関」といった。里伝に、当社創建・・・・・・・・・・ |
509-2505 岐阜県下呂市萩原町古関字楢尾1553番地 |
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益田支部 312 |

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白山神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-6006 岐阜県羽島郡岐南町伏屋4-199 |
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羽島支部 131 |

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白山神社
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創祀未詳。元伏見村と称する往古より一村の産土神社なり。然るに中古字高根より移転せりと云ふ里伝あり。明治四十一年五月二十五日元伏見村大字伏見字亥畑鎮座無格社神明神社、同村大字字中北町裏鎮座無格社諏訪神社。この三神社を同年九月二十七日村社白山神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
505-0125 岐阜県可児郡御嵩町伏見1315番地 |
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可児支部 565 |

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熊野神社
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創祀未詳。久々利郷五社の内に一社なり。寛永元年十二月再建。願主馬場三郎左衛門尉濃州可児郡久々利之内柿下村氏子繁昌所と記せし棟札あり。正保元年より以前は毎年五月五日神榊を奉じ乗馬一匹を牽き出し久々利村馬場町に至り、久々利郷八幡?~社始め五社祭式を執行し、流鏑馬を馳駆せしむる例なりき。寛文七年より久々利・・・・・・・・・・ |
509-0233 岐阜県可児市柿下655番地 |
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可児支部 611 |

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