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御鍬神社
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創建年紀不詳。現存せる棟札に、文化四年九月、文政七年七月のものふり。元白髭大明神と称し、猿田彦神を奉祀し来れるが、明治初年御鍬神社(豊受大神)を合祭したるを以て届出の際誤りて御鍬神社となれり。・・・・・・・・・・ |
503-0129 岐阜県安八郡安八町外善光3146番地 |
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安八郡支部 54 |

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稲荷神社
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創祀未詳。里伝に曰く、山洞の出に山腹の場所に一祠を安置し、伏見稲荷を迎へ祈る。爾来集落の氏神として本殿拝殿を建設し護持し来った。昭和五年十二月十二日「山神神社」を合祀した。・・・・・・・・・・ |
501-3704 岐阜県美濃市保木脇566番地 |
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美濃市支部 2459 |

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栄稲荷神社
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明治三十六年栄町が開設されてその翌年新しく社屋を造営し、伏見稲荷を勧請して奉祀したが、当町栄町の氏子は僅かに十数戸に過ぎず、神社経費の一戸当たりの負担額、○○来五○程であったと云ふ。・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町字六丁3025番地の2 |
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大垣市支部 2085 |

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稲荷神社
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詳細
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創祀未詳と雖も、宝暦三年三月再興の棟札あり。里伝に曰く、境内に孫八狐と申す老狐住むと云ふ。尤も此の老狐は、隣村御嵩村内岩鼻と申す処に住む姫雀狐と云ふ。夫婦とも云ふ。新選美濃誌に見るなり。当社は昭和二十三年正月一日不慮の火災に遇ひ、本殿拝殿を烏有に帰し、同年八月再建せり。・・・・・・・・・・ |
505-0115 岐阜県可児郡御嵩町井尻13番地の1 |
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可児支部 548 |

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明徳稲荷神社
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謹んで明徳稲荷神社の御由緒を按ずるに、慶長年間寺河戸字龍門に住める郷士土井戸右衛門なる者京都伏見の正一位稲荷大明神の御分霊を勧請して、自家の下屋敷に奉祀せしに始まりしが、此の地土岐川に沿ひて、水害頻々なる為、明治四年三月寺河戸字森本に御鎮座の産土大神日吉神社の境内末社として御遷座奉祀し来りしが、大正・・・・・・・・・・ |
509-6121 岐阜県瑞浪市寺河戸町1029番地の17 |
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瑞浪市支部 1857 |

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富士神社
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創立年代は不祥。古来より湯屋組の村社として崇敬されている。戸田采女正による元禄検地に境内除地、「1町3反3畝10歩 富士権現宮地、2反2畝歩熊野権現宮地」を賜り、文政4年本殿再建の棟札に、富士大権現・白山大権現とある。嘉永4年の『神名記』に富士権現宮・相殿白山宮とあるので、古来白山大神を相殿として奉・・・・・・・・・・ |
509-3113 岐阜県下呂市小坂町湯屋479番地の1 |
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益田支部 343 |

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稲荷神社
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創祀未詳。古来村社。明治四十四年三月無格社山ノ神神社を合併す。宝暦五年八月八日の棟札あり。文化二年濃陽村明細記白石村の條に左記の記録あり。 稲荷 社三尺四寸、三尺五寸 境内除地・・・・・・・・・・ |
503-1266 岐阜県養老郡養老町京ケ脇1301番地の1 |
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養老上石津支部 3131 |

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稲荷神社
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文化七年二月桑原仙右衛門外数名の信者に依り齋鎮せりと云ふ。又古老の口碑に依れば、禅宗大本山妙心寺末宇多院陽徳寺末美濃國武儀郡田栗村玉泉山雲龍寺の奥の院として鎮齋せしものにて、古来御所野稲荷大明神と号し、日々の献灯献供を始め祭祀に当たりては雲龍寺住職により執行はれたるものなりと云ふ。昭和二十一年十月五・・・・・・・・・・ |
501-2315 岐阜県山県市田栗610番地の2 |
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山県市支部 1813 |

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稲荷神社
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創祀不詳なれども、享保十六年五月大工上西郷河村嘉兵エの槌あり。・・・・・・・・・・ |
501-1178 岐阜県岐阜市上西郷1丁目66番地 |
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岐阜市支部 1101 |

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稲荷神社
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詳細
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創立年紀不詳。現存せる棟札左の通り。寛政六年吉月奉再建稲荷大明神。文政十三年吉月奉修復稲荷大明神。その他天保八年、安政二年)文化二年濃陽村々明細記に左の記録あり。一、稲荷大明神 社三尺五寸三尺五寸 境内三畝二十四歩 御除地。・・・・・・・・・・ |
503-0105 岐阜県大垣市墨俣町二ツ木21番地 |
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安八郡支部 7 |

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