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八幡神社
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創祀未詳。里伝に曰く、従来の村社にして往古は姫郷五ヶ村の産土神なり。中古にして別れて今唯本村のみの村社なり。昭和五年十二月二十日境内社白山神社、神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
509-0245 岐阜県可児市下切字古入795番地の1 |
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可児支部 616 |

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八幡神社
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享保十九年一月十五日創祀。八幡神社は15世紀の中頃池田浄連右馬次郎なるもの草深上連馬に池田城を築き居を構えた。時あたかも戦国騒乱の時代であり武運長久を祈るため豊前国宇佐八幡宮に詣でその分霊を現在の地に勧請したと伝えられる。故に大門より境内の建造物の配置、境内のたたずまい並に本殿背後のお手洗池は全く宇・・・・・・・・・・ |
503-2418 岐阜県揖斐郡池田町草深448番地 |
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揖斐郡支部 3063 |

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八幡神社
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創祀不詳。古老の口碑に往古宇佐神宮の御分霊を奉祀して、国主大明神と称し、遠近の人々大いに崇敬せり。然るに天文年中より日を逐うて衰微し、延宝の始めには殆ど廃絶に及びしかば、村民の願望によりて延宝八年再営して八幡神社と改称せり。合祀津島神社(建速素盞鳴尊、豊受姫命、久々能智命)創建年月不詳。往古疫病流行・・・・・・・・・・ |
503-1621 岐阜県大垣市上石津町下多良687番地 |
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養老上石津支部 3234 |

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広田神社
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寛文十一年九月創祀古老の口碑に字参宮沢に小社寛文十一年九月洪水の節、山崩流失。字前山三川中に止まるを奉勧請。明治六年再興す。・・・・・・・・・・ |
509-7202 岐阜県恵那市東野字前山2175番地の2 |
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恵那市支部 1570 |

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八幡神社
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創祀未詳。由緒記述なし。・・・・・・・・・・ |
501-3913 岐阜県関市稲河町183番地 |
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関市支部 890 |

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八幡神社
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創祀不詳。従来より無格社。享和三年御領内明細記鷲ノ巣村の條に左の記録あり。 八幡宮 社二尺五寸、二尺五寸 境内御除地。 棟札天明六年正月奉拝殿造営。寛政九年十一月奉葺替御社と記しあり。・・・・・・・・・・ |
503-1261 岐阜県養老郡養老町鷲巣792番地 |
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養老上石津支部 3120 |

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八幡神社
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当社は寛文五年五月里人安田孫三郎伊勢神宮に至り御師某の斡旋に依り八幡大神を勧請し、安田弥兵衛所有地壱反二畝余を寄付して社地とし、創建す。弥三郎は安田浄通といふ人の孫にて同弥五右衛門の子同通意の従弟なり。その後境内猶狭隘なるに依り同金十郎高淵村川口太郎兵衛の両人各社地を寄付せりとぞ。斯くの如く由緒ある・・・・・・・・・・ |
503-1382 岐阜県養老郡養老町船附字宮辺653番地 |
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養老上石津支部 3204 |

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八幡神社
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延長八年創祀。当村始め皇大神宮小泉御厨となり。次いで武家時代に入りて小泉庄と称し、歓喜光院御領となりて、朝恩を蒙る。やがて花頂院御門跡領となり、康正三年中興願主仙孝御門跡御代官○泉寄進にて八月二十二日造営成る。次で慶長十二年十一月七日幕府木曽代官当郷領主山村甚兵衛良勝寄進再興するところ、歴世公家武門・・・・・・・・・・ |
505-0115 岐阜県可児郡御嵩町井尻240番地の1 |
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可児支部 549 |

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八幡神社
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創立年月日不詳なれども、里老の口碑の伝ふる処に依れば、往古信徒有志相謀り社地を寄付して創建せるものにして古文書紛失して不詳。・・・・・・・・・・ |
503-0403 岐阜県海津市南濃町志津511番地 |
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海津市支部 654 |

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子安神社
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創祀不詳であるが、初めて史籍に見えたのは、三代実録に貞観十八年七月十一日、授美濃國正六位上児安神社従五位下とあるのが最も古く、美濃國神明帳の出来た天暦の頃には不破郡八十二社の内正二位児安大明神とあり。年次を追って授位された由緒ある神社である。按ずるに、宮代南宮神社の中に児安神社があって、三代実録及び・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町字羽根4026番地 |
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大垣市支部 2083 |

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