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五社神社
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創立年月日不詳なれどもこの地は往古より豪家あり相当神社も立派なりしも戦国時代兵火にかかり証になるべきものなけれども古老の言による。貞享2乙丑年6月造営、文政10丁亥年9月上葺修理仕奉候。・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良真福寺龍門寺2353番 |
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岐阜市支部 1187 |

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栃井神社
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往昔、人皇第十二代景行天皇、久々利村泳宮を行在所として駐輦し給ひし頃木曽路を拓かせ給ひし折、太田宿より蜂屋の里を廻り山之上より榎木峠を越えて御通の途中、此処に御休みになったので、里人が記念に御宮を建てたのだと口碑に伝へてゐる。又境内の石碑槐雪樓暉盛子の碑文にも其の由来を見る。宝永三年九月十五日奉造営・・・・・・・・・・ |
509-0305 岐阜県加茂郡川辺町西栃井1226番地 |
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加茂郡支部 432 |

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八布施神社
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当社は室町時代の明徳三年(1392)岩村の城主遠山左エ門尉景村の息女がこの地の柏原の山中に庵を作り住む。其の子の子孫、形部介高行蜂が根城にしているこの地に遠山家の崇敬社である祇園牛頭天王社(榊山神社)を分霊、勧請する。武威を輝かすと徳川時代の享保(1716)・宝暦9年(1760)9月の神社調書に村内・・・・・・・・・・ |
508-0203 岐阜県中津川市福岡2541番地 |
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中津川市支部 2240 |

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素盞鳴神社
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詳細
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詳かならざるも往古より氏子の敬神の念厚し。指定村社たり。・・・・・・・・・・ |
503-0022 岐阜県大垣市中野町字馬川218番地 |
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大垣市支部 1949 |

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八重垣神社
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創建年紀は不詳であるが、宝光院家由緒書に山下牛頭天王在者弘法大師の勧請。廻転場の鎮守にて御座候とあり、濃州赤坂宿記録には、一、牛頭天王高四尺五寸、横二尺七寸長三尺六寸七分、一、八王子両社の神事二月六日六月十五日なり。虚空蔵の鎮守也。子安、田中町氏社也。云々とあって、明治十二年頃まで子安町と田中町の両・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町3352番地の2 |
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大垣市支部 2087 |

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津島神社
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詳細
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里伝に依れば、明和年中疫病大いに流行した故に諸病鎮遏のため尾張津島神社の御分霊を奉迎して創建したといふ。神社の神域にはいにしえは境外にあっが、安政末時代より現地に奉遷したものであるそうである。此の神社地旧地は唯願寺領で(朱印地)あったのである。毎年例祭には必ず神饌に供したる御酒一樽を同寺に贈ることに・・・・・・・・・・ |
503-1632 岐阜県大垣市上石津町下山367番地の1 |
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養老上石津支部 3248 |

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津島神社
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創祀未詳。明暦四年五月四日再建とあり。寛延四年十月石段を造営。安永二年七月及び安永七年六月石灯籠を奉納し、天保十五年十月石段を増営せり。明治二十に知念四月一日社殿を改築せり。明治三十九年三好徳松石造鳥居を寄進建立す。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字西川432番地 |
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恵那市支部 1588 |

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津島神社
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大和村誌に「御神体は霊石、本宮尾張海部郡(今海東郡)門直庄神島(今津島)に在り。本社鎮座地は元伊尾野村と称せしが、此地往古久瀬川北流し主要なる船付場にて、鎌倉時代尾張津島港繁栄の頃此の要津も隆盛し、当時本宮より分祀と此の湊の鎮守神とせり。当時は津の神今世は疫勵の神とす」と出ている。津の神として祀った・・・・・・・・・・ |
501-0603 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方1776番地 |
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揖斐郡支部 2950 |

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素盞鳴神社
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詳細
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鎮座の年代は不詳なれども古来濃州西門間庄牛頭天王の祠宇として聞こえ、境内に松を植栽するときは祭神の処めありと傳へられしため、榎木多し。万治元年以来安政四年までに六回、その後明治年間に三回の再建又は再復を経て昭和十二年に本殿造営、境内整修せられ、氏子は多からざれども信仰は厚く、例祭は往時四月三日なりし・・・・・・・・・・ |
501-6267 岐阜県羽島市小熊町天王1丁目46番地 |
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羽島支部 260 |

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津島神社
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詳細
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創祀不詳。往年疫病流行の際、之を鎮遏せんため、尾張國津島神社の御分霊を奉迎して創建したと傳へられる。境内山神神社(大山祇神)古来宇佐谷に奉祀のところ、万延元年秋、暴風雨のため神社破壊し、当境内へ移転したといふ。昭和六年一月二十一日当津島神社に合併した。境内金刀比羅神社。往昔、某農夫病によって金刀比羅・・・・・・・・・・ |
503-1631 岐阜県大垣市上石津町前ヶ瀬117番地 |
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養老上石津支部 3245 |

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