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雨霜神社
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創建の年月日不詳。往古より雨霜明神と唱へ住民を始め近郷人民と雖も本社或いはその辺の地を指して雨霜と呼ぶこと今猶然り。曾て何時の頃よりか本社号雨霜の称は本社地始めその辺の大称の如く譬へば座地の字の如く相成り、却って本社を指しては只に神明社或いは雨霜の神明と唱うることとなれり。然るに又寛保の頃には雨霜の・・・・・・・・・・ |
501-3703 岐阜県美濃市下河和656番地 |
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美濃市支部 2455 |

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市杵島神社
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承元建暦年間の創祀と傳へらるも不詳。木曽川の辺り龍宮ヶ城(鵜沼町伊木山の下木曽川の巻辻)へ承元年間に市杵島姫之守御出現あり。浦島太郎木曽の上松在の住人とあり)安芸の宮島に於いて祝言すべく玉手箱を授け給ひし伝説を以て知られ有名なり。・・・・・・・・・・ |
504-0922 岐阜県各務原市前渡東町4丁目24番地 |
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各務原市支部 789 |

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天鷹神社
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創建年月日不詳。古来村社なり。古老の口碑に往昔越前國篠座の住人五位義門と云ふ者遊猟の為に当國に跋渉し、此の社地へ来りて山鳥に鷹をかけ、狩りたることありし故に天鷹神社と公称し、又祭神は高皇産霊神なりと云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-2321 岐阜県山県市谷合992番地 |
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山県市支部 1814 |

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白山比ロ羊神社
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神亀元年八月三十日創祀。当社は聖武天皇神亀元年七月北国白山三座の大神の御分霊を奉迎し、同年八月朔日雲路山に鎮祭し、白山神社と奉称し、荒城郷総鎮守として遠近の崇敬厚く、明治四十四年七月同大字無格社神明神社を当社に合併し、白山比□羊神社と改称した。・・・・・・・・・・ |
509-7607 岐阜県恵那市山岡町下手向1065番地 |
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恵那市支部 1625 |

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八幡神社
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当神社は畏くも後鳥羽天皇御王子嘉念坊善俊上人の御在中よりの守護神社にして鳩谷区の産土神なり。当時嘉念坊善俊上人は鳩谷(字末長と称す)に一宇の堂場を建立遊日を士道に従事中不図本村保木脇に在住の帰雲城主内ヶ島為氏と戦端を開き、征伐中不幸嘉念坊善俊(飯島ソトバ峠と称す)は卒塔婆峠に於いて御自殺遊。現に御埋・・・・・・・・・・ |
501-5629 岐阜県大野郡白川村鳩谷字南長57番地 |
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大野支部 2119 |

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猿田彦神社
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当社の御祭神は、猿田彦命を奉斎する。勧請年月日等不詳と云へども口傳によれば慶長庚子年徳川家康関ケ原陣凱旋の時加納城を修築し奥平美作守信昌をして城主たらしむ。信昌入城の砌り城の東北に八幡宮、城の西南現在の地に當神社を勧請し、表裏両方の鬼門の守護神とせり。歴代城主崇敬淺からずと云へり。現今も郷土人の崇敬・・・・・・・・・・ |
500-8276 岐阜県岐阜市加納南陽町2丁目22番地 |
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岐阜市支部 975 |

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県神社
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創立年暦不詳。延宝四年十二月十六日再建とあり。明治六年一月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
507-0057 岐阜県多治見市赤坂町1丁目57番地 |
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多治見支部 1918 |

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八重垣神社
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祭神素盞鳴尊、稲田姫命、八王子。文和二年八月二十五日後光厳天皇揖斐郡小島の行宮より再び垂井行宮に還幸なりし際、同月二十八日京都祇園社頭顕詮並に宰相律師前記之神を奉修し、行在所に伺候し祈祷をなせしを、帝深く嘉し給ひ論旨褒賞を授けらる。里人等又大いに崇敬し、土神の神として奉祀す。此の記事は京都八坂神社龍・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町1126番地 |
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不破郡支部 2533 |

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稲荷神社
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当社の御祭神は古く当地の産土神として奉齋されしものと拝せられ、恐らくはその創祀の当初五柱の祭神を奉祀されたるに依り当地の字名を五明と呼ぶに至りしものにあらざるかと推考さる。以来永き時代の変遷に伴ひ中世群雄割拠を来たし就中竹中重元当郡岩手を領するに及びては、其の子半兵衛重治に至り、雄名あまねく天下に知・・・・・・・・・・ |
503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手2290番地 |
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不破郡支部 2553 |

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荒神社
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創祀未詳なれども、享保年間長谷川代官著飛州志に「当神社創建年代未詳。古昔より婦女社地を踏むを忌み、又境内の枝葉を採るを禁ず。之を犯すものなし。」とあり、古来崇敬厚く、特に五穀豊穣、豊養蚕の御神徳を仰ぎ、陰暦閏年十一月十八日の例祭には五穀餅、醴酒を共す。此のお供へを作るに非常に清浄を旨とし、人家を忌み・・・・・・・・・・ |
506-0818 岐阜県高山市江名子町4946番地 |
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高山市支部 1713 |

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