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日抱神社
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詳細
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| 創祀不詳。里伝に乗鞍大神を分祀せりと。又当地の樹木繁茂を願ひて紀州より大神を奉請すと云ふ。▲「日抱神社」?・・・・・・・・・・ |
| 506-2118 岐阜県高山市丹生川町白井字大岩115番地 |
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大野支部 2144 |

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祖師野八幡宮
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詳細
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| 往古門原村の住人田口左近光員は、飛騨4ケ村並びに美濃16ケ村の総代となり、養和元年2月初卯の日に相州鎌倉八幡宮の御分霊を勧請して、祖師野の榧野(茅野)に小社を創立した。応永20年に、社殿の規模を整えて現在地に遷座し、美濃16ケ村、飛騨4ケ村の総社として現在に至っている。御供田高10石は応永22年3月・・・・・・・・・・ |
| 509-1606 岐阜県下呂市金山町祖師野字茅野223番地 |
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益田支部 300 |

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伊岐神社
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詳細
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| 寛文二十年六月奉伊岐大明神鎮座造立。文化六年五月瑞垣造立。天保二年十一月社殿修復。文久二年八月社殿再造立。明治三十三年神籬修繕。大正十五年四月石鳥居造立。昭和二年一月社務所建立。昭和六年四月石神籬改造。明治6年旧社格郷社に列し、昭和36年十月吉日金幣社に昇格、近在近郷の崇敬を得て今日に至る。
「甘・・・・・・・・・・ |
| 501-3911 岐阜県関市肥田瀬1263番地の1 |
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関市支部 888 |

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大八賀神社
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詳細
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| 創祀未詳なるも、当郷開発の國津神を祀りありしも、中世以後戦乱のため荒廃せしを天正十三年金森侯父子鍋山在城の際、加賀國白山大神を勧請せしと伝ふ。住吉大神は境外神社なりしが、近世合祀したるものなりと伝ふ。社名は明治四十二年二月白山神社を現在の如く大八賀神社と改称せしものなり。・・・・・・・・・・ |
| 506-0802 岐阜県高山市松之木町109番地の2 |
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高山市支部 1699 |

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中山神社
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詳細
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| 本社は、大和国吉野郡延喜弐内金峰神社の分社にして、第二十九代宣化天皇御宇宣化4巳未年勧請すると伝えられている。国主遠山家代代厚く崇敬され所謂祈願所が置かれていたが、天正2年武田勝頼のために遠山家は滅亡、その後里人達により氏神様として祭祀を営み現在に至っている。おいぬ様、往昔吉野金峰山より美濃国中山神・・・・・・・・・・ |
| 509-7831 岐阜県恵那市串原3913番地 |
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恵那市支部 1666 |

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笠置神社
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詳細
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| 寛和二年創祀。昔時中野方村の中仙道たりし頃、花山院仏道に帰入ましまして、東国を廻り給ふ際、茲に玉杖を休め給ふに、南なる高岳の岩焼として雲に聳へたるは宛然として都の笠置に彷彿たりと叡覧ありし即ち、山の名を笠置と号け其の頂に一社を設くべく宣ひ、「眺免御、笠置の山と号けしは、是も望みおく、しるしなりけり」・・・・・・・・・・ |
| 509-8231 岐阜県恵那市中野方町2676番地の1 |
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恵那市支部 1667 |

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猿田彦神社
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詳細
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| 当社の御祭神は、猿田彦命を奉斎する。勧請年月日等不詳と云へども口傳によれば慶長庚子年徳川家康関ケ原陣凱旋の時加納城を修築し奥平美作守信昌をして城主たらしむ。信昌入城の砌り城の東北に八幡宮、城の西南現在の地に當神社を勧請し、表裏両方の鬼門の守護神とせり。歴代城主崇敬淺からずと云へり。現今も郷土人の崇敬・・・・・・・・・・ |
| 500-8276 岐阜県岐阜市加納南陽町2丁目22番地 |
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岐阜市支部 975 |

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佐羅早松神社
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詳細
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| 当社は美濃市上河和、長良川が大きく湾曲するところ、郡上郡との境に聳ゆる標高546メートルの水晶山より流れる河戸谷にそって山懐に鎮座する。創祀は古く、僧泰澄、養老2年(718)産土神の宮に白山神社を鎮斎する。後佐良早松神社を勧請して、佐羅早松神社と改称する。この地は白山街道(郡上街道)が長良川右岸から・・・・・・・・・・ |
| 501-3702 岐阜県美濃市上河和1582番地の1 |
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美濃市支部 2454 |

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県神社
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詳細
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| 創立年暦不詳。延宝四年十二月十六日再建とあり。明治六年一月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
| 507-0057 岐阜県多治見市赤坂町1丁目57番地 |
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多治見支部 1918 |

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八幡神社
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詳細
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| 創立年月不詳元応年中土岐伯耆十郎頼貞信仰不斜その後文安元年土岐山城守当社再建慶長十年土岐頼貞の末孫妻木長門守家頼当社造営。社領四十九石九斗余寄付せらる。明治六年郷社に列せらる。大正六年神社有地百二十坪を境内に編入せらる。・・・・・・・・・・ |
| 509-5301 岐阜県土岐市妻木町3051番地の1 |
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土岐支部 2326 |

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