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荒神社
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詳細
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創祀未詳なれども、享保年間長谷川代官著飛州志に「当神社創建年代未詳。古昔より婦女社地を踏むを忌み、又境内の枝葉を採るを禁ず。之を犯すものなし。」とあり、古来崇敬厚く、特に五穀豊穣、豊養蚕の御神徳を仰ぎ、陰暦閏年十一月十八日の例祭には五穀餅、醴酒を共す。此のお供へを作るに非常に清浄を旨とし、人家を忌み・・・・・・・・・・ |
506-0818 岐阜県高山市江名子町4946番地 |
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高山市支部 1713 |

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吉野神社
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詳細
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慶長六年三月氏子の勧請により、社殿を造営し、以来崇敬怠り無く、明治中期改築せり。・・・・・・・・・・ |
500-8227 岐阜県岐阜市北一色8丁目6番14号 |
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岐阜市支部 948 |

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中山神社
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詳細
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本社は、大和国吉野郡延喜弐内金峰神社の分社にして、第二十九代宣化天皇御宇宣化4巳未年勧請すると伝えられている。国主遠山家代代厚く崇敬され所謂祈願所が置かれていたが、天正2年武田勝頼のために遠山家は滅亡、その後里人達により氏神様として祭祀を営み現在に至っている。おいぬ様、往昔吉野金峰山より美濃国中山神・・・・・・・・・・ |
509-7831 岐阜県恵那市串原3913番地 |
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恵那市支部 1666 |

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錦山神社
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創祀未詳なれども、里伝に曰く、往古守屋大連命の親族此の地に潜居して大連の御霊を奉祀せりとなり。(この社の隣地に守屋ヶ洞の字名を存し、又旧記には守屋宮とあり。)相殿倉稲魂神は永禄の頃当地の領主畑六郎左ェ門の家人菅茂源左ェ門の愛嬢天刑病に罹りしに、大神の霊験により全治せしを畏みて、当地に祠堂を建て崇敬せ・・・・・・・・・・ |
506-0818 岐阜県高山市江名子町368番地 |
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高山市支部 1716 |

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杉生神社
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詳細
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社名 杉生神社 御祭神 須佐之男命 旧社格 明治13年郷社列格 当社の創建年月は不詳でありますが、この郷は元多芸郡河戸庄太田郷と称し建久元年(1190)当時上野河戸に居を構える平家の士河戸七郎が社殿を造営したと記録ある古社で太田郷総社と仰がれた神社ですが度重なる戦乱水害等により記録は少なく僅かに残る・・・・・・・・・・ |
503-0532 岐阜県海津市南濃町太田字大里357番地 |
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海津市支部 682 |

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新宮神社
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創祀未詳なれども、口碑によれば往古当社を距てる南方一里、字宮ヶ洞高岳の本宮俗に國造の森に在りしを中古二條天皇の御代今の地に奉遷熊野新宮那智の三社を奉祀せりとなり。境内に高雄山神宮寺もありて後深草天皇の建長年間に白山社を合祀。降って永正の頃領主三木良頼永禄九年国司姉小路自綱万治二年領主金森頼直等社殿造・・・・・・・・・・ |
506-0035 岐阜県高山市新宮町1640番地 |
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高山市支部 1685 |

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大歳神社
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詳細
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社伝によれば、奈良町時代創祀。三代実録十四、清和天皇貞観九年十月五日飛騨國(八社諸神叙位の次に)同国正六位上大歳神云々等従五位下を授く。飛州志に曰く、大歳宮は小嶋郷杉崎村に在り。由緒未だ詳らかならずと雖も此の氏子は鶴を食べずと云ふ。按ずるに祭神大和姫世記に云ふ。伊佐波登美神稲倉魂神云々總社考に曰く、・・・・・・・・・・ |
509-4215 岐阜県飛騨市古川町杉崎字大歳41番地 |
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吉城郡支部 1316 |

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天神神社
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詳細
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人皇第五十六代清和天皇御子眞純親王の後裔源頼上唐音通間自由にして天文十年大明国より来朝せし眞羅軒と問答し、将軍義輝公の感に入り、美濃守に叙せられたる外典博学者なり。其の子頼郷将軍義昭公に属し、永禄十一年江州観音城を攻落し勇戦を抽て終に討死せり。一子幼名二郎即ち神社創立者根村次郎左ェ門源頼實幼少につき・・・・・・・・・・ |
501-6112 岐阜県岐阜市柳津町北塚2丁目26の1 |
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羽島支部 193 |

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椿山神社
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詳細
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寛文七年八月創立。旧は椿の森と唱へ来りしを明治十一年村内各社を茲に合祭し、許可に依り爾後村社椿山神社と称す。・・・・・・・・・・ |
509-7208 岐阜県恵那市笠置町姫栗字中切867番地 |
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恵那市支部 1584 |

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名木林神社
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詳細
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創立年紀不詳なりと雖も、美濃國神明帳に正五位名木林明神とある古社にして、俗に神明宮とも称して、又境内に藤の老樹ありしより藤の宮とも謂ひ、又東南に鎮座ましますを以て東の宮とも称へ奉る。明治五年郷社に列す。一説に大森は名木林明神の名より負はせたるなるべし。名の字は説文に大なりとあり即ち名は「オホ」の訓。・・・・・・・・・・ |
503-0116 岐阜県安八郡安八町大森1479番地の1 |
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安八郡支部 42 |

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