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天神神社
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詳細
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人皇第五十六代清和天皇御子眞純親王の後裔源頼上唐音通間自由にして天文十年大明国より来朝せし眞羅軒と問答し、将軍義輝公の感に入り、美濃守に叙せられたる外典博学者なり。其の子頼郷将軍義昭公に属し、永禄十一年江州観音城を攻落し勇戦を抽て終に討死せり。一子幼名二郎即ち神社創立者根村次郎左ェ門源頼實幼少につき・・・・・・・・・・ |
501-6112 岐阜県岐阜市柳津町北塚2丁目26の1 |
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羽島支部 193 |

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田代神社
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詳細
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田代神社は、加茂神社・春日神社・熊野神社・諏訪神社・八幡神社・白髭神社の六社を奉斎、創建年月不詳なるも今を去る1000年以上の古社にして、美濃国神名帳所載の多藝郡16社の中「國津明神」が即ち当社の古名とも云う。六條天皇の頃、清和源氏の後胤多田頼成が嶋田村に移住し、御田代(神田)の備わる当社を深く崇敬・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田259番地の1 |
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養老上石津支部 3162 |

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須佐之男神社
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詳細
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創立は旧記伝来無く不詳と雖も年暦古きにと氏子中に伝承せり 棟簡建立 元和五年巳未と記載あれとも全再建立と云へり 本村字を天王と称する 根元は此神社ありし故に號して地名とし次第に氏子繁茂一部を成せり 明治二十一年下半期津島神社を須佐之男神社と改む・・・・・・・・・・ |
501-2105 岐阜県山県市高富1452番地の2 |
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山県市支部 1742 |

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薮田神社
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詳細
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美濃國神名帳に曰く、厚見郡坐正六位上藪田明神是なり。新撰美濃誌藪田神社は当村にありと云へり。里伝に云ふ、当村は古へ自村にては明神と称し、隣村にては藪田明神と称せしを、祭神稲荷神なれば今を距る約百年前、安永年の頃より稲荷神社とのみ称すと云ふ。按ずるに、陽夫は八百穂なり。然るは藪田とは八百穂田の約言、八・・・・・・・・・・ |
500-8384 岐阜県岐阜市薮田南1丁目9番1号 |
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岐阜市支部 1003 |

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今渡神社
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詳細
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昭和三年一月十三日今渡区村社住吉神社、同八幡神社無格社神明神社の三社を合祀し、今渡神社と改称す。現在の地に新築、同年八月十一日遷座。・・・・・・・・・・ |
509-0207 岐阜県可児市今渡1541番地の1 |
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可児支部 589 |

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常葉神社
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詳細
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当社は大垣市郭町に鎮座しており、戸田一西命、氏鉄命、氏信命、氏西命、氏定命、氏長命、氏英命、氏教命、氏庸命、氏正命、氏彬命、氏共命をお祀利している。戸田左門一西は旧大垣藩中興の祖にして、三河の国田原城主戸田宗光の第六世なり、徳川広忠・家康に仕えて軍に従い勇名を馳す。天正18年戦功により武蔵国鯨井城主・・・・・・・・・・ |
503-0887 岐阜県大垣市郭町2丁目4番地 |
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大垣市支部 2007 |

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護山神社
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詳細
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木曽の山は、伊勢の神宮の式年遷宮御用材を14世紀以来700年の間伐り出す霊山として、また文安5(1448)年には南禅寺仏殿の材を、江戸期には江戸城の材を供出するなど、重要建造物の用材を担う大切な山として保全されてきた。護山神社は、その木曽山を鎮護し草木を育み人々への恵みを願うという請願のもと、第12・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字護山1594番地 |
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公式HP  |
中津川市支部 2246 |

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鶉田神社
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詳細
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宝亀二年創祀。天武天皇の第三皇子一品舎人親王の孫権中納言式部卿秀重、宝亀二年鶉の森を拓き、鶉の郷と名付け、郷内天王森に鎮守の祠を建て(素盞鳴尊を祀れり。弘安四年蒙古来寇の時、御祈願の為勅使参向あり。平定の後、皇室より大床安坐の狛犬を下賜せらるる。永禄年中織田信長、斉藤龍興征討の際戦勝祈願あり。斉藤滅・・・・・・・・・・ |
500-8281 岐阜県岐阜市東鶉5丁目63番地1 |
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岐阜市支部 980 |

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秋葉神社
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詳細
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昭和二十年七月戦災により焼失。昭和二十六年五月現社殿竣工。・・・・・・・・・・ |
500-8474 岐阜県岐阜市加納本町8丁目53番地 |
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岐阜市支部 1015 |

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櫻ケ岡八幡神社
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詳細
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創祀永正十五年ならん。仁徳天皇の御創祀せしめ給ふ相州平塚八幡大神を勧請し奉りしものにして、子孫世々長く弘教と共に篤く当社に奉仕せり。其の後國司大名等の崇敬するもの多く、姉小路基綱卿、金森長近公を始め、代官郡代等の崇敬少なからず社殿の造営等も数回に及べり。従って祭礼等も古より荘重に行はれる。湯花祭、筒・・・・・・・・・・ |
506-0817 岐阜県高山市山口町182番地 |
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高山市支部 1712 |

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