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三福神社
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詳細
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崇徳天皇永治元年飛騨守平時輔当区三仏寺城に在り。一日遊猟して老猿を追ひ、日枝神の霊験を感じて城下山腹に大神を勧請奉祀し、山王宮又三ノ宮と称せり。時輔より四世飛騨判官景家に至り、安徳天皇養和元年二月木曽義仲の部将手塚光盛来討し当城拒守する能はず、終に兵火の為当社も余火に罹りたるも、幸ひにご神体は事無か・・・・・・・・・・ |
506-0807 岐阜県高山市三福寺町18番地 |
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高山市支部 1700 |

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池野天満宮
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本社の由緒につき旧記及び里伝に依れば寛保3年(1743)癸亥年の創建にして元文年間同村六之井区と用水路の件に争論し相生し江戸役所の裁判を仰がんと当区長一同出所が、当区長は日頃より北野神社を崇敬する念篤く、滞在中は亀戸天神に参詣し当区の勝訴の瑞夢あり。故に一同喜びて判決を受けし結果果たして勝訴を得たり・・・・・・・・・・ |
503-2424 岐阜県揖斐郡池田町池野497番地 |
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揖斐郡支部 3069 |

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伊太祁曽神社
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詳細
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創祀未詳。元中八年九月創建の説あり。(棟札による)寛永年間現地に乗鞍の大神を奉斎せりとも云ふ。相殿の天照皇大御神は古来より同社境内地に鎮座なりしが、里説に、文化八年五月当社に皇大神降臨ありとて、国内は元より隣国より参詣者群衆し、社殿の輪魚、祭典の寄進等頗る殷賑なりしと云ふ。当時旗鉾大神宮と時謡に唄は・・・・・・・・・・ |
506-2251 岐阜県高山市丹生川町旗鉾字大西平17番地 |
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大野支部 2157 |

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峰児神社
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天暦元年一月創祀。高賀山大本神宮の奥の院にして勧請御鎮座の儀は天暦元年村上天皇勅願にして藤原高光公御建立されたるものなり。・・・・・・・・・・ |
501-2806 岐阜県関市洞戸高賀字宮下1220番地の2 |
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武儀支部 2605 |

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塩竃神社
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創立年月日不詳なれども、孝霊天皇第三皇子伊予主五十五代第三の子浄正少弼通直の子関谷大和守定高、第百二代後土御門天皇の御宇明応五年猿田彦命を塩竃大明神と勧請すと云へり。加藤家系譜に加藤遠江守光泰の子左ェ門尉貞泰公四万石を領し、美濃國黒野城主となれり。居城の際の守護神なりと称せり。元和二年以後大垣領地と・・・・・・・・・・ |
501-0521 岐阜県揖斐郡大野町黒野字南屋敷1715番地 |
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揖斐郡支部 2907 |

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荏名神社
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創祀未詳なれども、延喜式神名帳に曰く、飛騨國大野郡(三座の内)荏名神社是なり。三代実録に曰く、貞観九年十月五日授飛騨國従五位下荏神従五位上。飛騨後風土記に曰く、荏名子村荏名神社祭神(高御産巣日神・愛那能御神)。田中大秀翁文化十四年此神社を再建して社傍に自宅を建て、移り住み荏名翁と自号せらる。和漢三才・・・・・・・・・・ |
506-0818 岐阜県高山市江名子町1290番地 |
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高山市支部 1717 |

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熊野神社
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詳細
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古老の言によれば、明治前は「イチオイ様」と称へ当時旧暦九月九日の例祭にして、氏子の上屋敷舟岡澤渡の三村より出し物を造り、笛太鼓の囃子にて参道より神前へ御渡りにて、散餅したるが、明治二十二年頃より出し物造る事をやめ、俗に称する「ヤカタ」に中央に木造朱塗りの獅子を置き、之を二人して担ぎ、笛太鼓の囃子にて・・・・・・・・・・ |
509-0203 岐阜県可児市下恵土1677番地の1 |
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可児支部 580 |

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森山神社
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詳細
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当社の創建年代は不詳である。社前の「横倉遺跡」に関連を持ち、社後の丸山・川上岳・白山と一直線にあるところから、考古学的にも、古代祭祀場の遺跡と考えられる。近年耕地整理により、石器・土器等が散逸し、再調査は困難となった。元禄検地には僅かに三畝十四歩の境内除地があった。元文六年以降の再建再営などの棟札・・・・・・・・・・ |
509-2502 岐阜県下呂市萩原町四美字森ケ洞3274番地 |
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益田支部 309 |

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赤河神社
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詳細
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赤河の旧家(大澤家)に伝わる古文書によれば、この地に後醍醐天皇の元弘2年(1332)大名牟遅命(おおなむちのみこと)を勧請し祭神として祀り、社を創建したとある。
以後、330年余りを経た江戸時代の霊元天皇の貫文10年(1670)鳥居の再建と共に「本森社」の社名が記述されている。
以来、境内には弘・・・・・・・・・・ |
509-1112 岐阜県加茂郡白川町赤河1553番地の1 |
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加茂郡支部 510 |

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手力雄神社
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詳細
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長徳四年二月菅原儀右ェ門定勝なるもの近江國犬上郡より当地へ移り来る後菅原姓改めて沼波とす。長保三年四月同人創って三社の祠宇を栗木場に建つ。今福田新田西字大門是なり。其の本社は白鬚明神左若宮右手力雄命なり。天下大乱兇賊拠って巣窟として行旅の人を脅かす。故に時の人難儀森と称す後土人訛って幾森とす。承保三・・・・・・・・・・ |
503-0852 岐阜県大垣市禾森町字本郷2033番地の1 |
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大垣市支部 1995 |

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