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田原神社
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詳細
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寛文十二年二月創祀。当社は元八幡神社と称せり。時惟寛文十二癸丑年二月吉日。奉建立八幡大神社一宇 本願人 一村伝藏 田口三九郎 治りて御世静かなり風の音 穂積裔卒弘布 謹白 大工 富山村六右ェ門 寛政八丙辰年十一月十五日 奉再興八幡宮拝殿 一宇 神主 堀田仙太夫 名主林惣兵衛 組頭 両助 彦右ェ門 勘・・・・・・・・・・ |
509-8301 岐阜県中津川市蛭川字田原5068番地の1 |
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中津川市支部 2284 |

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津島神社
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詳細
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創立年月日不詳なれども当社は元本町字松田に鎮座ありしを慶長年中頃現在の巾上に移し参らせしこと明なり。尚、拝殿は濃尾震災に倒れたるにより、明治二十六年下半期に氏子協議の上再建せしものとす。・・・・・・・・・・ |
509-0135 岐阜県各務原市鵜沼羽場町1丁目217番地 |
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各務原市支部 835 |

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堂殿神社
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詳細
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創祀不詳。往昔椋椅某故有りて来り、此の地を開墾し、其の祖神(神名未詳)を勧請し、崇敬あり。後終に村名を「くらはし」と唱ふるとなり。故に椋椅某より数代居住する内其の社の傍らに甚大なる寺堂の如きものを造立し、武芸を稽古す。其の後村呼びて堂殿と称す。後又丸山の頂上に城を築き、子孫之に居住す。此の時に当たり・・・・・・・・・・ |
506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱2785番地 |
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吉城郡支部 1282 |

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石引神社
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詳細
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創建は不詳であるが、大垣領分村々明細記等によれば、御嶽蔵王権現の分霊を勧請したるものであり、まして寛永年中大垣城主松平越中守築城のとき、此の地から大石を引き出したるに依り石引神社と称したるものなり。・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町字北之端3328番地の5 |
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大垣市支部 2089 |

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神明神社
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詳細
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正慶年間の創祀。寛政六年一月社殿焼失再建。今日に至る。・・・・・・・・・・ |
509-7205 岐阜県恵那市長島町中野字神明前1055番地の1 |
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恵那市支部 1578 |

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八幡神社
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詳細
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往古大化新政の時代東は長良川、北は根尾川本流に大洪水ありし時根尾川下流の方県郡上尻毛村字「開き」の西側の川の柳木の根本に木造の御神体が漂着されているのを某氏が見て大いに驚き日吉神社総代に連絡区民一同協議の上西側高座に鎮座申し上げ其の名を「小宮様」と命名申し上げた。其の後神社を八幡神社と改名せしが総代・・・・・・・・・・ |
501-1150 岐阜県岐阜市上尻毛開キ235番地 |
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岐阜市支部 1082 |

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水無神社
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詳細
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創祀未詳、慶長年間に木曽三岳村から移住してきた付知三尾氏の祖が、その村に祀られていた水無神社(飛騨國一の宮水無神社の分霊)を勧請したと伝承されている。
寛文6(1666)年再興の旧記あり。
貞享元(1684)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、若宮八幡神社・子安神社・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字曽利免3875番地 |
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中津川市支部 2249 |

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八幡神社
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詳細
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当神社の創立は年月日不詳なるも、後陽成天皇織田信長が稲葉城攻略の砌当地に於いて当神社へ参籠帰依せられ武勲を建てられしとあり。当神社は古那加の里山後字山裏に鎮座せるを昭和十四年九月十日今の地に遷座し奉れり。(故奥之院神社を当時八幡神社と改称)当神社は古来武運の神として又寿福の神として氏子崇敬者の崇敬尤・・・・・・・・・・ |
504-0022 岐阜県各務原市那加東亜町117番地 |
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各務原市支部 759 |

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晴明神社
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詳細
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古老の口碑に曰く、寛政年中の創建なりと云ふ。・・・・・・・・・・ |
503-1632 岐阜県大垣市上石津町下山2730番地 |
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養老上石津支部 3250 |

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十二社神社
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詳細
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寛文年代の創祀。寛文年代肥後熊本より御神体を迎え、宝永七年八月之を再建す。・・・・・・・・・・ |
509-7205 岐阜県恵那市長島町中野字大隈前108番地の2 |
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恵那市支部 1577 |

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