
|
稲荷神社
|
詳細
|
当社は寛保11年(1741)の創建で、祭神は正一位稲荷大明神をお祀りしている。このあたりは旗本3千石金森左京の屋敷跡で現在も左京町と言っている。金森左京は元郡上藩主金森頼錦の分家であり、本家が宝暦の百姓一揆で断絶の時、一族で只一人特にお家存続を許され幕末の頃まで栄えた。この稲荷神社は左京の守護神であ・・・・・・・・・・ |
501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷字左京770番地の1 |
 |
|
郡上市支部 1408 |

|
飛騨太神宮
|
詳細
|
明治十二年四月二十一日創祀。明治十二年四月現在地に神宮教中教院新築落成同年四月二十一日大神宮御分霊着輦同日鎮座祭執行。中教院大神宮と奉称す。中教院は飛騨國を其の管区とし、神道普及に勤め、神職の養成及び採用試験並びに神宮教教導職を任免司掌する。明治三十二年神宮教解散に伴ひ神宮奉斎会高山支部と設置し、飛・・・・・・・・・・ |
506-0837 岐阜県高山市堀端町107番地 |
 |
|
高山市支部 1727 |

|
加茂若宮神社
|
詳細
|
創祀未詳なれども、飛騨國式外十神の一なり。国史見在三代実録陽成天皇天慶五年十月九日飛騨国正六位上加茂若宮神社従五位下を授く云々。中古領主江馬家二代高原太郎平朝臣、寛喜二年三月当社諸殿再建して、神器宝物を奉納せられ、及び旧式に依り祭祀を執行し給ふ。この年社前を隔つ字沖野に馬場を造り、家臣数十名に申して・・・・・・・・・・ |
506-1121 岐阜県飛騨市神岡町殿486番地 |
 |
|
吉城郡支部 1228 |

|
明白神社
|
詳細
|
当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元・・・・・・・・・・ |
509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1 |
 |
|
益田支部 315 |

|
水神神社
|
詳細
|
元禄年間鎮座の記録あり。この年間に大洪水がおこり、住民が社殿に縄をかけ、川下に引くが、現在地に至る時に社殿動かず、里人神意なりと受け此の地を社地と成す。大洪水にもかかわらず社殿敷地には害なく、水神として徳高しと崇敬を集める。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木7834番地 |
 |
|
中津川市支部 2217 |

|
八坂神社
|
詳細
|
寛永2年山城國京都八坂神社より蘇原総社式内加佐美神社の二の宮として寺島町(現在の神明神社の鎮座地)に勧請鎮座し、その後寛文12年(今から319年前)伊吹町愛宕山の現在地にお社を御造営奉遷されました。記録によりますと貞享4年(今から304年前)に再建されました。御本殿(3坪)と明治10年(今から114・・・・・・・・・・ |
504-0851 岐阜県各務原市蘇原伊吹町1丁目24番地 |
 |
|
各務原市支部 778 |

|
秋葉神社
|
詳細
|
鎮座地は武芸川町跡部の川北地区にある。川北地区100世帯の守り神で例祭は9月中旬以降の年1回である。当地は昔より例祭日に相撲が奉納されているが、その伝統が守り続けられており、現在では例祭の後(午後より)近くの公民館前広場で子供相撲大会が行われている。・・・・・・・・・・ |
501-2605 岐阜県関市武芸川町跡部1066番地 |
 |
|
武儀支部 2590 |

|
不破神社
|
詳細
|
創建年紀不詳。元隼人神社と称せしが、後不破神社と改称す。現存せる石燈籠の銘に奉納隼人大明神寛政十一年六月加野武左ェ門。奉納隼人大明神嘉永六年五月加野平輔。棟札に文化十三年八月吉日奉再建隼人大明神惣氏子中とあり、手水鉢の銘にも奉納隼人大明神嘉永二年九月上宿氏子中とあり、文化二年濃陽村々明細記西橋村の條・・・・・・・・・・ |
503-0103 岐阜県大垣市墨俣町上宿348番地の1 |
 |
|
安八郡支部 5 |

|
子宮神社
|
詳細
|
本神社は慶安3寅年(1650)創建し、元禄4未年7月10日(1691)再建。里伝によれば、その昔富士山上より石をいただき来たりて、御神体とし氏神となす。故に木花咲夜姫命を祀る。安産と家内安全、家業繁栄、五穀豊穣、交通安全は申すに及ばず、我々の心のよりどころとしての産土の神である。・・・・・・・・・・ |
509-7203 岐阜県恵那市長島町正家字飛ケ根264番地の1の1 |
 |
|
恵那市支部 1574 |

|
五加神社
|
詳細
|
合併合社して五加神社を創立したるも、社歴は遠く至徳年中当村神矢渕水上に白羽の矢浮かびて上流に向かって遡る。村民奇異の思をなす。忽ちにして一の光物と変じこの山上に止まる。依って社殿を創立して八幡大菩薩を勧請すと云ふ。明応四年再建、享保二十年に至り本殿を造営せり。後維新の際、八幡神社と称し、明治四年柏本・・・・・・・・・・ |
509-1303 岐阜県加茂郡東白川村五加932番地 |
 |
|
加茂郡支部 526 |

|