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星之宮神社
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詳細
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| 星之宮神社は、1859年(江戸時代 安政6年)、千葉県佐原市の香取神宮から、経津主命の分霊を勧請して創設された。それ以降、星之宮神社には御祭神として経津主命等を祀ってきた。明治40年(1907年)、内務省令で神社を統合するよう通達があり、翌年5月に星之宮神社・八幡社・一王子社の三ケ所の移転合祀を申請・・・・・・・・・・ |
| 501-3928 岐阜県関市西田原字東屋敷635番地の1 |
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関市支部 897 |

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諏訪神社
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詳細
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| 明治七年各務郡神社明細帳第一大区十六小区に記載ある神社にして古くより此の地に奉祀のことは明らかに伺はれる。・・・・・・・・・・ |
| 501-3142 岐阜県岐阜市諏訪山3丁目4番12号 |
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岐阜市支部 1153 |

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一之宮神社
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詳細
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| 創祀未詳なれども、古書に祭神下照比賣命下照大権現等とあり、往昔より一之宮大菩薩と称し、大宮又は一之宮と称す。元禄検地帳他書に一之宮とありて、旧名張郷の産土神たり。慶長年間国主金森長近大衆院をして祭祀せしむ。金森家代々の崇敬篤く、社殿の造営修理葺替幣帛の寄進あり。金森家國替以来歴代の官人亦当社を崇敬し・・・・・・・・・・ |
| 509-4122 岐阜県高山市国府町名張字宮ノ前1691番地 |
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吉城郡支部 1305 |

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広瀬神社
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詳細
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| 白鳳五年四月一日創祀。一、本社は創立当時は天照大神を祭れり。一、大同二年当地字金堀より現在の地に遷し奉れり。一、文永元年宇多源氏の末流廣瀬氏重(当地の領主当神社を崇敬し、其の祖宇多天皇、藤原温子、敦實親王、同妃の四柱を合祀し、五社大明神と称せり。一、文永三年六月十八日亀山天皇より正一位の神階北谷大神・・・・・・・・・・ |
| 501-0902 岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬2803番地 |
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揖斐郡支部 3014 |

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加茂神社
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詳細
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| 創祀未詳なれども、天延三年七月七日社頭上葺の棟札あり。大山咋神の一社を同村同字宮東に日吉神社と称し、祭祀ありし処、明治四十一年十二月十八日本縣の許可を受け本社に合祀す。・・・・・・・・・・ |
| 505-0052 岐阜県美濃加茂市加茂野町今泉字加茂地759番地の1 |
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美濃加茂市支部 2445 |

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向山神社
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詳細
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| 昭和十三年九月三十日向山鎮座日吉神社・土地守神社・星宮神社・齋宮神社・富士屋敷鎮座神明神社を合祀したる神社。○日吉神社…大山咋命…往古より山王の地名あるは此の神社あるを以てならん。寛文元年、正保六年、文化十四年棟札あり。○土地守神社…大國主命…正保二年文化七年元禄明和年間寛文二年天保十四年の棟札あり・・・・・・・・・・ |
| 501-3217 岐阜県関市下有知向山595番地 |
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関市支部 860 |

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曽木神社
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詳細
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| 創祀不詳なれど、寛永十七年再建の棟札あり。・・・・・・・・・・ |
| 509-5402 岐阜県土岐市曽木町464番地 |
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土岐支部 2356 |

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井神社
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詳細
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| 文政十年勧請。寛文年間尾張國人喜田吉右衛門並に林幽閑当郡関村の住柴山伊兵衛の三士、曽代より用水を開発し、四ヶ村の曠野を開拓し、今日の良田となせし。功徳に感じ、四ヶ村(松森・下有知・小瀬関)里正及び神光寺の住僧眞澄等と共に相議し、西京吉田家に乞いて初めて観講する所なり。この功徳甚だ鴻大にして捨て置かれ・・・・・・・・・・ |
| 501-3217 岐阜県関市下有知6324番地の2 |
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関市支部 861 |

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墨俣神社
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詳細
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| 創立年紀不詳なりと雖も、延喜式内社にして延喜式神名帳に従五位下墨俣明神とある古社なり。大日本史神祇志に「安八郡四座の内墨俣神社今在墨俣駅神名記為従五位下」神名帳考証に「安八郡墨俣神社洲俣川大已貴命各務郡眞墨田神社玉葉云養和元年三月十三日伝聞去十日欲渡墨俣之間尾張賊越来」美濃式社考に「墨俣神社在安八郡・・・・・・・・・・ |
| 503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣264番地 |
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安八郡支部 2 |

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赤口神社
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詳細
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| 天文三年長良川筋がいまだかつてない大洪水のため小熊堤防が決壊し下流諸村落を呑み込むと共に、先端は一直線に桑名にまで達し、岐阜桑名間を帆掛船が往来するといった事態が生じた。この洪水に上流から一祠が厚見郡今泉郷地内に漂着した。村人はこれを下流に押し流したが、翌朝来て見ると元の岸辺に戻っており、近くの地に・・・・・・・・・・ |
| 500-8302 岐阜県岐阜市本郷町2丁目12番地 |
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岐阜市支部 986 |

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