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神明神社
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稲葉郡鵜沼三ツ池区に所属していた当時より川崎航空機工業(株)に隣接していた地区であったため、川崎区と命令して分離発足した地区名である。昭和20年6月22日米軍の川崎航空機工場の爆撃により、川崎区は253戸が一挙に潰滅し、多数の死傷者を出した。このため昭和27年3月区民相集ひ、被爆死亡者の霊を鎮めまつ・・・・・・・・・・ |
509-0147 岐阜県各務原市鵜沼川崎町2丁目131番地 |
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各務原市支部 840 |

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越原神社
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詳細
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創立年記不詳なりと雖も、里伝に応永の頃牛頭天王を勧請奉斎せられ、近村広く崇敬厚かりしと云ふ。後天災地変相続き、社殿も荒廃に帰せり。貞享二年に至り、庄屋安江三右衛門近村崇敬者の奉賀により社殿を再建し、祭事も盛大に執行せり。以後歴代の庄屋度々社殿及鳥居の修理せられし棟札あり。文政七年三陽の蹇女各地を巡り・・・・・・・・・・ |
509-1301 岐阜県加茂郡東白川村越原501番地 |
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加茂郡支部 522 |

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若宮八幡神社
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創祀未詳。里伝に依れば、二条天皇平治元年十二月源義平当地傘松城に籠城し、武運長久祈願の為本社を創立し、尊崇せりと、又一説に本社は仁徳天皇六五年両面宿儺退治として難波根武振熊命、勅を奉して当地に至り、巨魁平定の為祈願斎場の遺跡、日影山の麓宮平に聖武天皇の御宇、勅を下して八幡宮を祭らしめ給ふとも伝へらる・・・・・・・・・・ |
506-1152 岐阜県飛騨市神岡町寺林1496番地 |
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吉城郡支部 1244 |

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春日神社
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詳細
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創立年紀不詳と雖も河野西入坊天台宗の時、鎮守之御神にして後を村社に敬ひ奉ると古来より言傳ふ。・・・・・・・・・・ |
504-0932 岐阜県各務原市下中屋町字村東810番地の1 |
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各務原市支部 798 |

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白洲神社
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創祀不詳なれども、従前須崎村崇敬の神社にして、文明年中よりの棟札には白髭大明神と唱ふ。御維新の際旧号を廃し、白州神社と改称す。大正二年十二月岐阜県の許可を得て、境内社津島神社(祭神須佐之男命)久斯之神社(久斯之神)風神社(志那都比古神志那都比賣神)山神社(大山祇神埴山姫神)稲荷神社(宇加之魂神)の五・・・・・・・・・・ |
509-1102 岐阜県加茂郡白川町中川898番地の2 |
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加茂郡支部 493 |

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春日神社
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詳細
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延宝二年奈良春日神社より分霊を勧請して村内の守護神として奉鎮し、爾来村内氏神として崇敬す。・・・・・・・・・・ |
501-6065 岐阜県羽島郡笠松町門間1488番地 |
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羽島支部 183 |

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西上田神社
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詳細
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創建年代は不詳。江戸時代初期のころ、大森神明神社より分祀奉斎して、西上田五社の一つとして崇敬されていた。元禄検地で一反歩の境内除地があった。その後、宝永三年二月、宝暦五年二月に再建の棟札がある。
明治維新に村社に列格し、明治四十一年境内山ノ神神社及び字外林(釜ヶ野)村社神明神社、境内社山ノ神、・・・・・・・・・・ |
509-2503 岐阜県下呂市萩原町西上田字新シャ1000番地 |
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益田支部 310 |

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諏訪神社
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詳細
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勧請年月日不詳。然れども正徳元年日野庄屋利右ェ門より四名の役人宛に提出したる「厚見郡日野村」と「白山権現、天満天神、諏訪大明神、の三社調」の掟によれば、後奈良天皇の御代弘治元年に建つとあり。之れ創建ならんか。(日野天満神社の由緒による)
文化財等 獅子頭(1306年 嘉元4年)県指定文化財(・・・・・・・・・・ |
500-8207 岐阜県岐阜市日野北1丁目6番5号 |
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岐阜市支部 937 |

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姥神社
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詳細
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創立年月日不詳にして棟札等に依れば、天和三年十月八日奉納又享禄十一年六月吉日姥大権現ともあり。創建せられよりは相当の年月を経過せるものと推察せらる。古老の口碑に依れば当神明神社は往昔姥神社と称へたるも、中古に於いて神社社標建設に当たり氏子の寄進者村外居住者にして社標注文に当たり姥神社名を忘れしに石工・・・・・・・・・・ |
501-2301 岐阜県山県市神崎1984番地 |
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山県市支部 1800 |

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八幡神社
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詳細
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当神社の御祭神は、応神天皇・秋葉大神・菅原道真を奉斎する。創立は不詳。当社は、本荘多羅野八幡宮と言い中仙道の宿間で旅人往来の休憩所であって、「多羅利餅」という稲餅が売られていた。多羅野藤と共に当時は中仙道名物であったが、交通道路網が他に出来て次第に人の往来希薄となり盗賊に荒らされて一時は「多羅野盗宮・・・・・・・・・・ |
500-8323 岐阜県岐阜市鹿島町8丁目25・26番地 |
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岐阜市支部 989 |

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