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松永神社
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詳細
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元和四年二月旧領主竹腰山城守家の造立にして、維新前は年々例祭に神楽を奏せられ、同家より獅子頭を奉納せらる。本社は往古志津野村の総社なりしが、文化の頃村の中央に白山神社ありて地理の利便よりこの白山神社を総社とし、当社には石灯籠一基を奉献せらる。本社往古松永八幡宮と唱へしも、明治十年八幡神社と定めらる。・・・・・・・・・・ |
501-3205 岐阜県関市志津野2983番地の1 |
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関市支部 858 |

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有本神社
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詳細
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創立年月未詳なれども、慶長十二年十二月再建その後度々再建す。社内に鰐口一個あり。之に文明六年十二月三輪大明神と之あり。と雖も原由未詳。本社祭神を白山大権現と称し奉斎す。之に依りて御改正の際三輪、白山合祀して有本神社と称して村社と定めらる。大正二年九月十七日岐阜県知事の許可を得て末社の祭神を本殿に合祀・・・・・・・・・・ |
509-1221 岐阜県加茂郡白川町上佐見5872番地 |
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加茂郡支部 516 |

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上矢作神社
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詳細
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藤原高光公当国高賀山中に妖魔退治の為、下向の節、或夜霊夢に福部山嶽へ降臨の神々宜しく砥石川原の辺に白羽の社あり。其処に矢を作り来れば妖魔忽ち退治すべしとの御告げありければ、山崎○の頭森盛に汝尋ね来るべしと命じ給ひしかば、森盛砥石川原を守れば果たして砥石川原の辺りに九社ありて白き鳥の羽と箭あり。直ちに・・・・・・・・・・ |
501-2814 岐阜県関市洞戸菅谷字宮ケ洞1386番地 |
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武儀支部 2612 |

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白山神社
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詳細
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元禄以前の創祀。元禄三年二月吉日の棟札あり。元禄三年二月、寛政十年二月十八日、文化十年八月、明治二十八年八月十三日。等棟札多し。延宝九年濃州厚見郡水海道村鑑差出帳に竿先免三十四屋敷、敷地二反三畝歩、白山権現宮御除け地。・・・・・・・・・・ |
500-8223 岐阜県岐阜市水海道3丁目3番11号 |
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岐阜市支部 944 |

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八坂神社
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詳細
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名簿記載なし。所在不明。何れかの神社に合祀済みか。・・・・・・・・・・ |
503-0611 岐阜県海津市海津町秋江2142番地の1 |
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海津市支部 3300 |

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白鬚神社
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詳細
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里傳曰く、美濃神名記に各務郡(二十二座の内)従五位下長山明神とあり。明治七年各務郡神社明細帳第一大区十六小区白髭神社とあり何れも当神社の事にて、芥見郷神社中最も古くより奉祭怠りなきことが窺われる。・・・・・・・・・・ |
501-3132 岐阜県岐阜市芥見長山1丁目152番地 |
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岐阜市支部 1151 |

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白山神社
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詳細
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当社は美濃市立花、長良川の清流に望み、板取川の長良川に注ぐ所ろ山の麓に鎮座する。白山街道(郡上街道)は長良川左岸、美濃市曽代を北進してきて、此処白山神社の前で右岸に渡っている。更に古道は現在の白山神社の山に向って登っている。白山神社登拝道の喉口であった。洲原神社とともに僧泰澄の奉斎になる神社である。・・・・・・・・・・ |
501-3705 岐阜県美濃市立花907番地 |
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美濃市支部 2461 |

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太刀矢神社
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詳細
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日本武尊・大碓命御在世の時常に持給ひし弓矢剱などを納め、此処に一社を建立して太刀矢社と云ふと伝へり。又本村は大碓命御住居もありし知にて、倭建命の御由緒も有り。且つ又、乙洞などと云う字もあれば、美濃弟彦の出所にて、弓矢の由縁もあれば、弟彦を祀れるかと云へども確証なし。本社号「太刀矢」は立野にて、本国神・・・・・・・・・・ |
501-2251 岐阜県山県市柿野1342番地 |
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山県市支部 1784 |

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八幡神社
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詳細
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当社延喜年間に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。其の後宝徳三年岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと雖も、事実不詳。さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。昔時織田信長公此の社を休憩所とし、枇杷を食し「・・・・・・・・・・ |
500-8838 岐阜県岐阜市八幡町15番地 |
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岐阜市支部 1022 |

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大宮神社
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詳細
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嘉暦二年室松覚算宮渡之有り。爾来破壊の度毎或いは上葺をなす事十有余回とす。元小原村産土と称し、大宮大権現と唱ふ。御維新の際大宮神社と改称し、古来村社とす。本殿縦一間四尺五寸、横一間一尺二寸。拝殿縦五間三尺横五間。境内九百七十九坪。境内神社、八幡神社(応神天皇・建葉槌神・軻遇突知神・大巳貴神・少彦名神・・・・・・・・・・ |
509-1105 岐阜県加茂郡白川町河岐1892.1893.1894番地 |
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加茂郡支部 500 |

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