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八坂神社
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詳細
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名簿記載なし。所在不明。何れかの神社に合祀済みか。・・・・・・・・・・ |
503-0611 岐阜県海津市海津町秋江2142番地の1 |
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海津市支部 3300 |

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一位ノ森八幡神社
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詳細
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創立年代は、社伝に依ると第八十一代安徳天皇の養和元年正月、木曽義仲、入飛騨観察の途中、源家の氏神八幡大神を勧請鎮祭し、愛用の鉾.太刀等を奉納せりと云う。社宝に仏像四体その他多数があり、区内には義仲及び木曽家に関する幕の原、駒懸岩、長峰古戦場の遺跡がある。文禄2年9月再建の砌り、仏像を補修彩色した、其・・・・・・・・・・ |
509-3403 岐阜県高山市高根町日和田字中村垣内821番地 |
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大野支部 2200 |

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八幡神社
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詳細
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当社延喜年間に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。其の後宝徳三年岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと雖も、事実不詳。さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。昔時織田信長公此の社を休憩所とし、枇杷を食し「・・・・・・・・・・ |
500-8838 岐阜県岐阜市八幡町15番地 |
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岐阜市支部 1022 |

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大宮神社
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詳細
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嘉暦二年室松覚算宮渡之有り。爾来破壊の度毎或いは上葺をなす事十有余回とす。元小原村産土と称し、大宮大権現と唱ふ。御維新の際大宮神社と改称し、古来村社とす。本殿縦一間四尺五寸、横一間一尺二寸。拝殿縦五間三尺横五間。境内九百七十九坪。境内神社、八幡神社(応神天皇・建葉槌神・軻遇突知神・大巳貴神・少彦名神・・・・・・・・・・ |
509-1105 岐阜県加茂郡白川町河岐1892.1893.1894番地 |
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加茂郡支部 500 |

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六社神社
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詳細
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嘉暦三年九月創祀。本社祭神は古木像五体ありて社傳には天児屋命、天太玉命、天思兼命、天穂日命、天手力雄命とあり。本村は王朝時代駅家の一部にして土岐氏の一族守護神として嘉暦三年六社大神を奉祀せしと傳ふ。享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為水害を蒙ること夥し。寛文六年十一月の棟札あり。旧幕時代領主・・・・・・・・・・ |
503-2341 岐阜県安八郡神戸町西座倉324番地 |
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安八郡支部 122 |

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稲荷神社
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詳細
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創祀不詳。抑も本村に鎮座せらるる稲荷神社は保元平治の昔日本國稲荷神社の総社たる山城國伏見稲荷神社の御分霊を勧請し、字大門なる清浄の地を選し奉祀せしものと傳ふ。天正年間池田氏の暫く居城を此の地に定め時々武運応護の神として尊崇極めて篤く、四方の信仰も亦殊に深かりき。降りて寛永年中大式の位を授けられし後天・・・・・・・・・・ |
507-0043 岐阜県多治見市月見町2丁目57番地 |
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多治見支部 1911 |

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白山神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳
白山信仰の開祖と仰がれている泰澄大師が美濃洲原に里宮洲原神社を祀り各地を廻り布教行脚され、途中下沓部村に草庵左近院を結び暫時滞在された折、三神尊像を彫り祀られました。後世になりこの三神を当神社に移し、下沓部村と合同でお祭り行ったと伝えられています。当神社の創立は不詳であるが、永・・・・・・・・・・ |
509-1622 岐阜県下呂市金山町金山308番地 |
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益田支部 303 |

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六之井神社
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詳細
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仁安二年五月創祀。六条天皇の御宇仁安二年五月勧請。庄内鎮護の古社にして若一王子宮と称し庄内の崇敬最も深厚なる著名の神社とす。按ずるに永暦元年七月二十二日後白河上皇紀伊國熊野の本宮を帝都に勧請し新熊野と称し給ひ仁安二年五月上皇二十八ヶ所の庄内を寄進し給ふ。其の二十八ヶ所の庄園内に濃州池田庄六之井艮の地・・・・・・・・・・ |
503-2425 岐阜県揖斐郡池田町六之井862番地の1 |
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揖斐郡支部 3071 |

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黒岩神社
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詳細
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創祀不詳なれども天喜年間御鎮座ありしものにて、古老の伝へる処に依れば、鎮守府将軍源頼義公奥州安倍の一族征伐の砌に二男賀茂二郡義綱中仙道出征の途中神前に詣り戦捷を祈らるると云ふ。本社古来黒石神社又は岩神神社と称し、黒色の巨岩上に奉祀す。新撰美濃志に依るも所謂黒岩神社と称するもの即ち是なり。此の黒岩に因・・・・・・・・・・ |
505-0071 岐阜県加茂郡坂祝町黒岩字前山1232番地の1 |
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加茂郡支部 360 |

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県主神社
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詳細
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創立年記不詳。当村阿部在京と云ふ者之を建立すと云伝ふ。・・・・・・・・・・ |
509-0302 岐阜県加茂郡川辺町上川辺1536番地 |
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加茂郡支部 423 |

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