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淤加美神社
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享保二十一年沙門實想院阿闍梨法院卓眼時の名主某と善女龍王を勧請し、龍神宮と号す。その後改めて八大権現と称せしが、維新の際神仏混淆分離の朝旨により明治四年十月八日旧大垣縣へ奉願し、淤加美神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
503-0918 岐阜県大垣市西崎町1丁目79番地 |
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大垣市支部 2020 |

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八幡神社
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当社延喜年間に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。其の後宝徳三年岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと雖も、事実不詳。さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。昔時織田信長公此の社を休憩所とし、枇杷を食し「・・・・・・・・・・ |
500-8838 岐阜県岐阜市八幡町15番地 |
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岐阜市支部 1022 |

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六之井神社
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仁安二年五月創祀。六条天皇の御宇仁安二年五月勧請。庄内鎮護の古社にして若一王子宮と称し庄内の崇敬最も深厚なる著名の神社とす。按ずるに永暦元年七月二十二日後白河上皇紀伊國熊野の本宮を帝都に勧請し新熊野と称し給ひ仁安二年五月上皇二十八ヶ所の庄内を寄進し給ふ。其の二十八ヶ所の庄園内に濃州池田庄六之井艮の地・・・・・・・・・・ |
503-2425 岐阜県揖斐郡池田町六之井862番地の1 |
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揖斐郡支部 3071 |

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六社神社
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嘉暦三年九月創祀。本社祭神は古木像五体ありて社傳には天児屋命、天太玉命、天思兼命、天穂日命、天手力雄命とあり。本村は王朝時代駅家の一部にして土岐氏の一族守護神として嘉暦三年六社大神を奉祀せしと傳ふ。享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為水害を蒙ること夥し。寛文六年十一月の棟札あり。旧幕時代領主・・・・・・・・・・ |
503-2341 岐阜県安八郡神戸町西座倉324番地 |
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安八郡支部 122 |

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鉄塔山神社
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延長五年正順院伊能修験道を以て本坊を創立し、朱雀天皇天慶年中に本坊に将門降伏の勅願ありて鐵塔山の号を給ひ、霊験顕著なり。明治初年神仏分離の節神社として現今に及べり。本殿座敷の間には和宮降嫁及明治天皇遷都の砌御駐輦御一宿ありしを、昭和十五年一月十九日岐阜県指令十四兵第1724号を以て明治天皇聖蹟史蹟と・・・・・・・・・・ |
503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代1854番地 |
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不破郡支部 2572 |

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青木神社
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古老の口碑伝説に拠れば、建久年中青木武蔵守頼忠入道諡天満大僧正次州坂田群箕浦庄能登瀬色大兄山正一位青木大明神は北陸道七ヶ国笠領の鎮守の言なりしが、本願坊善性寺住職宝蔵の請願により御分身を下賜せられ、之を濃州之大野郡領家に勧請奉祀せられ、之が本社創建の始めなりと称せり。而も本社は明治維新前より二回も類・・・・・・・・・・ |
501-0556 岐阜県揖斐郡大野町領家438番地 |
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揖斐郡支部 2936 |

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秋葉神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
504-0928 岐阜県各務原市山脇町字東洞993番地 |
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各務原市支部 802 |

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金峯神社
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詳細
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創祀未詳なれども、慶安二年三月二十八日再建の本願田中松右衛門、田中侍左右門、田中孫四郎、等記せし棟札あり。濃州志略に御嶽村山川の部に権現山即ち「蔵王権現」鎮座山甚不高、松檜蔭映る里老云々」と称せしが、神祠の部に蔵王権現祠「以前一村總社吉野より移す故此の地を御嶽と名くか。大光寺之を掌す」等記せり。明治・・・・・・・・・・ |
505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1849番地 |
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可児支部 552 |

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白山神社
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創祀未詳。元伏見村と称する往古より一村の産土神社なり。然るに中古字高根より移転せりと云ふ里伝あり。明治四十一年五月二十五日元伏見村大字伏見字亥畑鎮座無格社神明神社、同村大字字中北町裏鎮座無格社諏訪神社。この三神社を同年九月二十七日村社白山神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
505-0125 岐阜県可児郡御嵩町伏見1315番地 |
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可児支部 565 |

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生櫛神社
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正保二年三月大明神建立。明治五年八月白髭神社と改称す。明治四十一年四月付近の小社稲荷、八幡、愛宕、日吉各神社を合祀し、大正二年十二月二十六日生櫛神社を創立せり。・・・・・・・・・・ |
501-3756 岐阜県美濃市生櫛字北出1578番地の1 |
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美濃市支部 2470 |

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