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六社神社
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詳細
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神社明細帳に依れば六社神社の由緒次の如し。岐阜県美濃國大垣市中曽根北屋敷496番地村社六社神社。創立年紀不詳。本殿五尺五尺五寸 境内三百三十四坪。・・・・・・・・・・ |
503-0986 岐阜県大垣市中曽根町字北ノ屋敷467番地 |
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大垣市支部 2063 |

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八幡神社
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御祭神応神天皇は武運長久、家内安全、五穀豊穣の神として氏子の崇敬篤く永年に亘り讃仰しきたれり、殊に氏子の住む北柿ヶ瀬及び南柿ヶ瀬の治水不備の往時、現長良川の古川と戸羽川及び板屋川の合流点に在りて洪水或は堤防の欠壊等に困る水害を繰り返す所謂水害の常襲地帯のため農耕、水難鎮護の神とし崇敬し来たり、氏子の・・・・・・・・・・ |
501-1133 岐阜県岐阜市北柿ケ瀬144番地の1 |
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岐阜市支部 1073 |

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長屋神社
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明治四十一年六月字上之大南「上大南神社」(祭神不詳)同山神神社・字上新谷「神明神社」字小野街道「神明神社」合併す。・・・・・・・・・・ |
501-2901 岐阜県関市板取字津井谷3620番地 |
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武儀支部 2620 |

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天神神社
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詳細
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当社の創立は詳かではないが、後鳥羽院の承久年中に、斎藤左ヱ門尉帯刀親頼が、美濃国目代に任ぜられ、美濃斎藤家の祖となるや一門の尊崇する菅神を、京都の北野本社より美濃の地15ヶ村に勧請したと伝えられ(斎藤家由来記)長良天神もその一社であります。寛正年中に、斎藤妙椿、利藤兄弟が社殿の御造営を奉仕し、それか・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良天神1972番地の1 |
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公式HP  |
岐阜市支部 1183 |

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玉水神社
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創祀不詳。古老の口碑に往古大雨打ち続くも川上の地山崩れして流水池の如くなる事数十日夫れが為里民共腹痛等造営患ふ(当地は高原川に辺に在りて浄泉はなし。飲料水は川水を用いればなり。)是より?字岩垣内(今の地に云ふ)松の大木を以て氏子神とし、祀来る。然るに此の祭りに望みて奇異なる哉其の側に泉沸湧す。全く神・・・・・・・・・・ |
506-1306 岐阜県高山市上宝町見座532番地 |
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吉城郡支部 1272 |

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星宮神社
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詳細
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元文二年仲春十三日中山の郷鎮護の霊祠として尊崇崇敬の念深き郷人の寄進を得て創設せられたる旨本殿内に棟札あり。元神仏合体当時は虚空蔵菩薩も同地内に奉祀しありしを、明治初年の頃字中山地区内庚申堂に遷したるやの古人の言伝へなり。社殿は爾来時々修復再建し、現在の社殿は明治三十一年六月新築造営し、今日に至る。・・・・・・・・・・ |
505-0305 岐阜県加茂郡八百津町和知443番地の1 |
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加茂郡支部 393 |

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養老神明神社
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詳細
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当社は大正九年五月養老神風講社を起こし伊勢両宮、秋葉神社、稲荷神社へ毎年代参し、御神符を受け、民家の屋根に奉齋し、大正九年六月十七日午後二時遷宮式が挙げられたのが始まりにして、それから数年後則ち大正十二年八月養老道北1568の54に当時養老鉄道所有地を借用移転、社殿を建設奉鎮す。その後約三十年間毎年・・・・・・・・・・ |
503-1261 岐阜県養老郡養老町鷲巣1612番地の25 |
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養老上石津支部 3122 |

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白鬚神社
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詳細
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由緒不詳なれど、立木等よりして三百余年を経たるものと見られ御神徳高き故加茂郡福地村清津神社と御神体奪ひ合ひをしたる事ある古老の説ありたり。昭和二十一年本殿内整理の折清津神社の棟札入りありたるに依り、返札す。・・・・・・・・・・ |
505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見2867番地の2 |
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加茂郡支部 405 |

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八幡神社
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天慶五年九月創祀。朱雀天皇天慶五年九月創建にして栗原氏の崇敬厚し。境内に天然記念物の「いちいかし」樹ありて約七百年の樹齢なり。
当社の有する栗原は、4世紀頃から 柴原勝の姓を名乗る一族が支配していました。781年に栗原連を許されて右京にあって朝廷に仕へ以後この地に住み生活をしていました。その栗・・・・・・・・・・ |
503-2123 岐阜県不破郡垂井町栗原1868番地 |
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不破郡支部 2568 |

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四方神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2223 岐阜県大垣市矢道町3丁目493番地の1 |
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大垣市支部 2098 |

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