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麻生野神社
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天文九年創祀。江馬十四代左京之進平ら時経次男右ェ門太夫直盛と倶に麻生野洞ノ山に分城を築き、此処に居す。之を麻生野右ェ門太夫直盛と称す時に天文九年麻生野字野田に宇佐八幡宮を勧請すと云々。又里説に所謂直盛麻生野の野を開墾し野田と字して其の中央に此の大神を勧請し、その地主神と祭祀を執行、崇敬すと云う。江馬・・・・・・・・・・ |
506-1131 岐阜県飛騨市神岡町麻生野296番地 |
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吉城郡支部 1231 |

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八幡神社
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明暦三年五月十五日創祀。当社御祭神は品陀別命にして、後に応神天皇と諡せり。御本社は京都府下男山八幡宮なり。当社は明暦三年五月十五日創建と明細帳に見ゆれ共、古老の口碑に依れば、土岐頼遠氏足利直義に従ひて戦功あり。後延元三年青野原に於いて源頼家と戦ひ、戦敗して長森城に帰る。よって神明の加護に依らずんば戦・・・・・・・・・・ |
509-5101 岐阜県土岐市泉町河合字宮洞1020番地の2 |
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土岐支部 2308 |

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馬荘霊神社
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往時当下吉田村始め米田郷十三ヶ村入会山と同郡細目村入会山との堺の争論起こり、其の時当村馬場荘助と云者大いに其の事に尽力し、終に其の功を奏せり。依って両村人等相謀り、天保十三年碑を建て、以て之を祭る。本祭神は石建自然石立て三尺八寸、横三尺である。・・・・・・・・・・ |
509-0311 岐阜県加茂郡川辺町下吉田494番地の2 |
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加茂郡支部 440 |

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神明神社
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社伝によれば、平安朝初期以前の創祀。社殿に曰く当社は当該地方開闢の時祭祀せる旧社にして、則ち地主神なり。当國荒城郡(中昔吉城と改称)飽見郷(中古小麻利郷と改称)角川村(現河合村角川)は河合坂下村内にて広闊平坦の土地なり。本村は乾の方地勢自ずから高き岡丘字市の平に位し、境内老杉巨藤鬱蒼たり。天長年間僧・・・・・・・・・・ |
509-4301 岐阜県飛騨市河合町角川1531番地 |
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吉城郡支部 1333 |

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春日神社
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創祀未詳なれども、元大明神と称す。字簗坪に鎮座の処宝永二年九月故有り、移転此の地を小簗と云ふ。簗坪は津保川の南也。故案ずるに本国名帳撰所載正五位下楊河明神此社ならんか。・・・・・・・・・・ |
501-3941 岐阜県関市小屋名976番地 |
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関市支部 908 |

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八幡神社
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元郷社應神天皇を祀る延長8年石清水八幡宮を勸請し、康平6年源義家本社及び末社を再建したと伝えられる。鎮座地は石清水八幡宮御願塔院領として有名な明智荘で既に承暦2年12月の文書にその名が見える、本社はかかる関係から勸請奉祀せられた古社である、後長祿3年に斎藤利永入道妙椿は社殿を修造営したと伝えられてい・・・・・・・・・・ |
505-0122 岐阜県可児郡御嵩町顔戸1172番地の1 |
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可児支部 561 |

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神明神社
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享保十四年九月十五日創祀。○神明神社享保十四年九月十五日設立明治五年三月二十三日神鏡一面京都より奉迎字松源地へ合祀。明治八年九月十五日氏子復座願い出奉斎す。戸隠神社 明治五年三月二十三日字松源地坂下へ合祀。明治八年九月十五日復座奉斎。津島神社 明治五年三月二十三日松源地坂下神社へ合祀。明治八年九月十・・・・・・・・・・ |
509-9232 岐阜県中津川市坂下字握3607番地の1 |
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中津川市支部 2294 |

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綾羽神社
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創立年月日不詳なるも、古老の口碑に、雄略天皇の御代呉の國より渡海したる貢女呉漢を祀れりと云ふ。御神体を奉拝るに古くて不明な物十体、神像四体江戸時代の作と思はれる像三体御座しまして、古社を思はせるに足る。・・・・・・・・・・ |
501-2565 岐阜県岐阜市福富189番地 |
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岐阜市支部 1128 |

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神明神社
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子野の産土神にして、万治元年(1658)建立の記録が「中川日記」にあるが、?保元年(1741)9月再建の棟札が現存する。思うに中仙道の街道沿いの集落として、子野が開かれた頃に建立されたと思われる。
境内には、末社として山神神社、水神神じゃ、猿田彦様が祭られており、水神神じゃの前には古井戸も残ってい・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川字子野950番地 |
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中津川市支部 2216 |

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八幡神社
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寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
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509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
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中津川市支部 2297 |

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