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乙御前神社
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詳細
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| 当社創立旧記伝来無くして詳ならす 然れとも氏子家記を見るに後醍醐天皇御宇官軍の敗士 永井加賀守菅原宣元 元弘元年落来 茲に住居す 因て当社を創立して氏神と崇敬す 後一村の氏神となせし由 伝記に見えたり 因之観之は元弘年間之創建なるへし 然るに古来本地と称し 石仏の地蔵一体社内に在り 背面に天文二十四・・・・・・・・・・ |
| 501-2112 岐阜県山県市西深瀬1727番地 |
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山県市支部 1749 |

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子守神社
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詳細
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| 子守神社は延宝5年丁己10月吉祥日祭神天之水分神、国之水分神の二柱を福生院法宜を導師として、本願人西尾小四郎が奉建せしを、正徳二年壬辰九月阿宥梨福生良宣を導師として、本願人西尾喜兵衛、西尾伊右門、西尾清助、の三名が現在の地に再建したと棟札に見え、以来今日迄上手向区(旧上手向村)の親神として、特にこど・・・・・・・・・・ |
| 509-7603 岐阜県恵那市山岡町上手向1505番地 |
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恵那市支部 1624 |

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火禦神社
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詳細
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| 創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
| 509-7602 岐阜県恵那市山岡町馬場山田3502番地 |
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恵那市支部 1620 |

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吉田神社
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詳細
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| 古来村社。豊村は古くは吉田村と称したり。慶安三年の洪水により田園砂田と化し、今に砂畑の地名残れり。これが為古文書散逸して創立年紀縁由不詳。延宝五年大垣藩へ差し出したる古絵図に「大明神」と記されたり。又、享和三年御領内明細記、吉田村の條に「吉田大明神境内御除地」とあり。・・・・・・・・・・ |
| 503-1334 岐阜県養老郡養老町豊127番地の1 |
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養老上石津支部 3188 |

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加茂神社
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詳細
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| 寛治四年三月二十六日創祀。当社の鎮座は旧記伝来なく、方今該村に於いて創立年暦詳細を知る能はずと雖も、往古梅原庄たりし時に山城國鴨御祖神社領公田四十町歩ありし事確然たり。其の地名字に残れり。古来其縁由に因りて鴨御祖神社の御分霊を迎へ奉り、以て崇祀する処と見えたり。今存在する山城鴨社の旧記の写しを見るに・・・・・・・・・・ |
| 501-2115 岐阜県山県市梅原1543番地 |
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山県市支部 1762 |

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遊幡石神社
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詳細
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| 文徳天皇御宇以前の創祀。貞観九年十月五日飛騨国正六位上遊幡石上従五位下云々。御鎮座の地字石神谷なり。神体の石は地上高さ五尺幅四尺厚さ一尺色淡赤にて甚だ綺麗なり。奇霊なる事有りければ、里人信心浅からず。案ずるに遊は郷名にて、今高原郷の旧名なり。和名抄に飛騨国荒城郡遊(阿曽布)郷と見え、此の石の神の社辺・・・・・・・・・・ |
| 506-1131 岐阜県飛騨市神岡町麻生野1111番地 |
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吉城郡支部 1232 |

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春日神社
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詳細
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| 当國葉栗郡下中屋村に有之を年月不詳氏子分神の節当地へ奉迎鎮座の由古老者より伝承その他事歴不詳。延宝五年上戸村、安政二年九月二十六日の棟札あり。延宝五年二月二十七日、元禄十一年九月吉日木槌有り。天明四年九月、寛政十二年十二月吉日、文化五年六月吉日の燈明あり。・・・・・・・・・・ |
| 504-0927 岐阜県各務原市上戸町3丁目109番地 |
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各務原市支部 801 |

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秋葉神社
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詳細
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| 宝暦年間関ヶ原大火災に罹り、その後直ちに遠江國秋葉神社に参詣御分身を願ひ、現在之当地に御安置申し上。当町一戸なりとも有らん限り年々火祭り致すと誓願し昭和二年御屋根葺き替え致し今日に至る。・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字大栗毛3956番地 |
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不破郡支部 2509 |

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六社神社
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詳細
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| 神社明細帳に依れば六社神社の由緒次の如し。岐阜県美濃國大垣市中曽根北屋敷496番地村社六社神社。創立年紀不詳。本殿五尺五尺五寸 境内三百三十四坪。・・・・・・・・・・ |
| 503-0986 岐阜県大垣市中曽根町字北ノ屋敷467番地 |
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大垣市支部 2063 |

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白山神社
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詳細
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| 元正天皇の御代養老元年(717)年、泰澄大師が此の森に休み、木の枝に幣帛を懸けて置かれたのを里人が敬って一小社を建立し、これを御神体として祀り「シデカケの宮」といった。その後神主鷲見九郎左衛門が本郡長滝村の某女と結婚したので、その縁により、長滝寺より神像を神主に贈られた。そのため此の神像を本殿に合祀・・・・・・・・・・ |
| 501-5122 岐阜県郡上市白鳥町為真1184番地 |
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郡上市支部 1535 |

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