来振神社
(きぶりじんじゃ) |
|
|
主祭神 |
伊弉諾命(いざなぎのみこと) | 伊弉冉命(いざなみのみこと) | 菊理姫命(くくりひめのみこと) | 大己貴命(おおなむちのみこと) |
|
|
|
地図
|
住所 |
〒501-0501 岐阜県揖斐郡大野町稲富字井口山2544番地の1 |
|
由緒由来 |
第四十五代聖武天皇神亀二年六月創建にして、延喜式神名帳に曰く、美濃國大野郡三座の内、来振神社。美濃國神名帳に曰く、大野郡三十二社の内来振大神とあり、抑も其の縁由を尋ぬれば、聖武天皇の御宇神亀二年六月十八日晨暁雪尺余不思議の瑞兆ありしこと叡聞に達し、勅使下向あり。神託を窺はしむるに則諾册二尊霊山嶺降臨の神託により、急ぎ宮社を修め、来振明神と崇め勅祭あらせられ叡慮により永世祭祀のため麓に伽藍十二坊御創建の上、新福寺を来振寺と改称御勅号あり。長瀬更地上秋等各村の内都合永二百貫の荘園を課し且つ社務の為五十八石八斗の領米を寄付あらせらる。降りて享保三年藪川流域変更の為社地流失し、遂に川敷となり、旧社地跡形もなくなりつれど、豊臣徳川二家共に朱印地を寄進され、大垣藩戸田候世々崇敬ありき。天和二年二月吉日御神前手水鉢現当二世安全所濃州大野郡更地村住人国枝長藏敬白。 |
|
|