日置江神社 (ひきえじんじゃ)
通称     
主祭神  
      火雷神(ほのいかづちのかみ)
摂末社祭神     
      豊受大神(とようけおおかみ)
地図 map
住所        
〒501-6133 岐阜県岐阜市日置江字屋敷前畑289番地
由緒由来  
社傳に年月不詳成らざれども、山城國乙訓坐火雷神社を勧請すと云へり。美濃國神明帳内厚見郡座十八社の内正六位上大保明神是なるべし。其の故は神前石燈籠の銘に正六位火雷神社宝永四年八月十七日厚見郡日置江村鎮座とあり。此の石灯籠に彫りたる神号は古石燈籠に刻てありしに甚粗石なるを以て宝永年間今の石燈籠に改建すと云ふ。古石燈籠の旧礎現存せり。亦慶長六年七月本社修営棟札に雷大明神と有り。元禄六年の棟札に大神宮と記せり。是豊受大神を後に合祀せしより云ふならむ。三代実録に大和國正六位上保沼雷神と見ゆれば往古正六位上大保明神と書してより神明帳に厚見郡座正六位上大保明神と転略せしなるべし。当社の宝物に加茂明神と記したる古額あり。裏に日置江村青木健次郎寄進の文字微かに見ゆ。是神殿或いは鳥居に揚げたる古額なること明けし占部兼倶の延喜式神明帳頭注に山城國乙訓座火雷神加茂建角身命也とあれば、日置江神社元より加茂大明神なるを別雷神と火雷神を同神として往古額も揚げ献灯の銘にも記せしならむ。如此なる時は位階は違ひたれども美濃國神明帳に見えたる安八郡座加茂大明神にはあらざるかと或人云へり。此の説宝物の額面並に社傳に能く附合したれ共も、此の辺正に安八郡なりし確証なきを以て縦に難し然れ共一説に付す。昭和二十三年四月十三日国有境内地譲与の為、挙証書類調査中の処日置江村大字日置江字屋敷前畑主某好家現存の青木代系図藏巻に由緒なる者あり。抜粋文に藤原山陰仁和四年二月四日六十五歳薨。時長、利仁、延喜十一年住上野以同十年上総太守従四位下武蔵左近将監より約九十代後の青木三右衛門尉法名俊山、濃州墨俣八郎頼衡に属し後土岐弾正少弼頼遠随青野原合戦に顕軍功是は先祖より加茂大明神守護に依りて也。康永元年頼遠被誅後濃州厚見郡に潜居して加茂雷皇大神宮を改崇む。別雷大神宮は青木氏代々の産土神也。加茂明神は別雷明神と奉号す。是宝亀年間より勧請せし者推定す。別雷神なるべし。昭和二十七年五月北野神社、鍬山神社を境内神社とし合併す。昭和二十七年一月十六日合併承認。
祭礼情報  
4月5日