常磐神社 (ときわじんじゃ)
通称     
おみや
お宮
主祭神  
      金山毘古大神(かなやまひこのおおかみ)
      金山毘売大神(かなやまひめのおおかみ)
      須佐之男大神(すさのおのおおかみ)
      菊理媛大神(くくりひめのおおかみ)
      豊受比売神(とようけひめのかみ)
      菅原天神(すがわらてんじん)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒508-0204 岐阜県中津川市高山1585番地
由緒由来  
高山の地に人々の生活が始まり、何時の時から神様を祀るようになったか、その創祀の時や、その由来は詳しくは知られていませんが、下森(現在の高山保育園付近)に金山比古神を祀った南宮大明神、御殿前の地(西組の神田神社の西側)に菊理比賣神を祀った白山大権現、熊野平の地(中上二の東南)に須佐之男之神を祀った熊野権現がありました。
この三社を元正天皇の養老元年(717年)6月16日に現在の常磐(字名)の地に合祀し、高山の産土神として、ここに南宮神社という社名をつけ、奉齋しました。
その後、元和8(1622)年6月に豊受比賣大神を、正保元年(1644)に菅原大神を奉齋して祀りました。明治二年の庶政一新の際、新たに神殿(神明造)を改築し、高山地内に散在する小神社を合祀して社名を常磐神社と改称しました。高山村が福岡村に合併後は村社として登録されていましたが、昭和39年3月、銀幣社に昇格指定を受け、今日に至っております。
現在の常磐神社の鎮守の森は千年以上の昔から大切に育てられ、栗、クルミ、樫、榊、サワラ、翌桧、杉、桧、欅など豊かな木々が育っております。中でも、太閤秀吉が朝鮮出兵の為(1591,1596)九鬼嘉隆に命じて軍船建造のとき、苗木藩の遠山久兵衛友政は材料の調達の命により領地内の一番条件に適う樹のある南宮神社(現在の常磐神社)の森から桧の大木3本を切り出し、川を使って運び出させた話は切り株が今も保存される中、語り継がれております。
祭礼情報  
4月第2日曜日