安弘見神社 (あびろみじんじゃ)
通称     
主祭神  
      建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
摂末社祭神     
      志那津彦命(しなつひこのみこと)
      志那津姫神(しなつひめのかみ)
      宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
地図 map
住所        
〒509-8301 岐阜県中津川市蛭川中切1033番地の1
由緒由来  
正長元年四月十日創祀。 当社は元木曽道恵奈郡平流川庄奥野田にあり。正長元年四月十日和田政通入道十回忌を供養するに当たり和田社を造営して和田一族の霊を祀ると共に日頃崇拝せる京都祇園社の神霊(牛頭天王)(須盞男命)を勧請して祀れり。この社堂を建立せしときの供養塔銘。「両代忠節を全ふし、高義世に知る莫し 深山幽谷の裡十稔日空しく移る 陰徳陽報有り祠を建てて祭儀を行ふ 落花堆り塚の裡 松老て影参差 神霊の在るを識らんと要せば 諸人眉を提起せよ」正長元年四月十日相模國建長大禅寺同契比丘桂巌後北條の世に五万の兵に取り囲まれ、南朝の威信を滅する戦あり。其時神霊仏霊を人知れず御かくまい給ひて一時難をのがれ給ふ。後南朝の臣当郷に祀り其の記録は各其時の神官家に宝藏せり。安弘見神社(阿弘見)は京都の祇園社牛頭天王を祀るが故祇園社とも称せり。牛頭天王は印度の祇園精舎の守護天なり。是を薬師如来の化身とも言ひ、或いは素盞鳴命の本地垂迹せしものとも言へり。祇園社に於いて攘災会を行ひしことあり。明治元年神社号を安弘見神社と改号す。境内地にあった薬師堂は苗木藩の廃物令によって焼棄せられたのである。当社は蛭川村社なれども、往古は美濃の国社であったから一切の祭礼儀式は國社の規格を行へり。由て其の祭儀は頗る荘厳なりし故に各藩士及び京都より公卿鎌倉より僧等が来観せり。
祭礼情報  
4月16日近い日曜日