坂下神社 (さかしたじんじゃ)
通称     
じゅうにそうしゃ
十二社社
主祭神  
      誉田別命(こむだわけのみこと)
摂末社祭神     
      事解男命(ことさかおのみこと)
      菊理姫命(くくりひめのみこと)
      八柱神社(やはしらじんじゃ)
      大縣神社(おおあがたじんじゃ)
      熊野十二社(くまのじゅうにしゃ)
地図 map
住所        
〒509-9232 岐阜県中津川市坂下字松源地639番地
由緒由来  
坂下神社の創建年代は詳らかではありあせんが、木曾義仲公が幼少期より度々参拝していたという伝承から、平安時代末期以前と推察されます。創建当初は社殿南面に方位して現社殿を主部とし三百米を越す参道があり、両側に十二の社殿が点在する近隣に比のない立派な社でした。義仲公の元服を機に八幡宮が下組法力屋より遷座合祀されました。義仲公は八幡宮を厚く信仰し、戦に出陣する際は必ず参詣し戦勝を祈願していましたが、平家追討の詔を奉じて出陣する治承四年(一一八〇年)、生憎の 豪雨、木曽川の氾濫により渡河できず、山口側にて征矢に願文を結わえて 対岸の坂下側へ射込まれました。これを受けた村人は馬の鞍に征矢を結びつけ義仲公の代参を果たしました。 義仲公はみごと大勝を上げ征夷大将軍の官位を賜りました。知らせを受けた村民は歓喜し祝祭を上げ、これが花馬祭りの発祥に繋がります。寛文元年一月、林野の火災の延焼により焼失。同年十二月八幡宮として復興。明治五年、村内の数百神璽を合祀し坂下神社と改称、万世無窮を奉齋する。
秋季例祭は「花馬祭り」と称され平成二十年八月、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されました。

祭礼情報  
花馬祭り(はなうままつり)
10月第2日曜日