熊野神社 (くまのじんじゃ)
通称     
主祭神  
      家津御子神(けつみこのかみ)
摂末社祭神     
      速玉之男神(はやたまのおのかみ)
      熊野久須美神(くまのくすみのかみ)
地図 map
住所        
〒503-2406 岐阜県揖斐郡池田町宮地865番地の1
由緒由来  
文徳天皇の皇子惟喬親王糟ケ谷に熊野権現を御勧請後災禍にあい炎上す。承平2年池田氏池田山権現の段に再興奉齋す。この時既に村人池田山、天神山に天神明神を祀る。美濃国神明帳に池田郡従五位下天神明神の名を見る。猶古書は天永2年天満大自在天神を勧請白山権現社等宮数16社を数えると記す。後白河上皇は京都に新熊野神社を御建立、池田庄21ケ村をその社領に御寄進以後当熊野権現社は21ケ村鎮守の総社となり、養和元年院庁下文して荘内の課役を免除する。康永2年当国守護となる土岐頼康弟頼忠を分家す。本郷城に據る頼忠は熊野権現を権現の段から齋藤親頼の頃より菅原道真公を祀る天神信仰も併せ加わる天神社を天神山より遷座、更に源家の氏神八幡社を勧請、梅桜寺等7宇の別当寺他諸式整え現在地に熊野神社を造営すると云う。大永8年小寺城主稲葉塩塵宮司として置文禁制を残す。慶長5年関ケ原合戦に本郷城主国枝正森西軍に味方し本郷城と共に戦火に罹る。戦後大垣城主となる石川長門守熊野天神両社を再建修理以降城主国部氏、松平氏、戸田氏に替わるも代々城主の尊崇篤く拝殿、社殿の再建修理に努められ文化5年には戸田氏庸公参拝す。帳内天神とあり。慶長五年関ヶ原合戦の時残らず焼失す。その後寛文七年四月石川長門守本社及天神神社再建。爾後松平甲斐守再建す。往古熊野神社の境内より八町程上権現の段と云ふに鎮座天神社は当境内なりし由何の頃熊野神社になりたるか不詳。勧請は土岐大膳太夫にて神領多分寄付あり。別当四ヶ寺神昌院、梅櫻寺、眞閑寺、護国寺の四坊あり。雲門之庄内廿有余ヶ村付属す。土岐、斉藤、戸田氏崇敬。
祭礼情報  
4月17日〔2日間〕