西上田神社 (にしうえだじんじゃ)
通称     
主祭神  
      天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
      伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
摂末社祭神     
      建速須佐男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
      大山津見大神(おおやまつみのおおかみ)
      火具土大神(かぐつちのおおかみ)
      底筒男大神(そこつつのおのおおかみ)
      中筒男大神(なかつつのおのおおかみ)
      表筒男大神(うわつつのおのおおかみ)
      県大神(あがたのおおかみ)
      地神宮(ちじんのみや)
      氏子出身靖国の神霊(うじこしゅっしんやすくにのしんれい)
地図 map
住所        
〒509-2503 岐阜県下呂市萩原町西上田字新シャ1000番地
由緒由来  
創建年代は不詳。江戸時代初期のころ、大森神明神社より分祀奉斎して、西上田五社の一つとして崇敬されていた。元禄検地で一反歩の境内除地があった。その後、宝永三年二月、宝暦五年二月に再建の棟札がある。
明治維新に村社に列格し、明治四十一年境内山ノ神神社及び字外林(釜ヶ野)村社神明神社、境内社山ノ神、住吉二社、本社大森神明神社、並びに各無格社四社を合併して、「西上田神社」と改称した。
大正元年に本殿・拝殿を新築した。同七年手水舎の寄進があり、昭和十九年に石鳥居、同三十年石玉垣の寄進があった。同四十五年には本殿板垣、同五十三年に参集所をそれぞれ新築した。
明治四十一年に合祀された「地神宮」は、元和二年大阪夏の陣に出役した日下部某大人を祀る神社である。夏の陣に際して、国主金森氏は一村につき一人の出役命令を出した。村民たちは恐怖に陥るあまり、旧家である日下部某大人を訪ねて、出役に応じるように懇願した。出役の上は生死にかかわらず土地の神として永代祀ることを約束した。日下部某大人はこの懇願を受けて出役し、その後戦利品として轡をもらい無事帰郷した。村人たちは大いに喜び感謝して、某大人の死後に土地の地神である「地神宮」に合祀した。
摂末社:稲荷神社(倉稲魂大神)
祭礼情報  
4月第1日曜日