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若宮八幡神社
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詳細
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| 字平井に鎮座祭神応神天皇仁徳天皇神功皇后伏見天皇の御代正応年間平家の落人三輪六左衛義里大和國より今須村祖父谷に移住し、護神として祖父谷山端に創建せし社なるが、後水尾天皇の御代元和元年間に至り、三輪義行本社を平井に移し、山林を平らにし、境内となす。移転後祖父谷、平井の氏神となし、村人の崇敬する宮となる・・・・・・・・・・ |
| 503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須2399番地 |
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不破郡支部 2524 |

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愛宕神社
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詳細
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| 明治初年関ヶ原町広畑八十戸の守護神として私祭社を創建し、崇敬来りしが、明細帳脱漏神社なりしも、今回熱誠なる崇敬者の熱望により宗教法人令による公認神社として一層崇敬の誠を捧げる事となれり。・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字広畑3145番地の5 |
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不破郡支部 2514 |

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春日神社
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詳細
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| 創祀不詳。往昔郷里の土豪友田某の鎮守なりし由。然るに其の後追々零落せしにより、遂に村の社となし、祭れる由。亦陰暦八月十五日の夜月中山鏡台山懸る依而之社名月見宮とも云ふ。・・・・・・・・・・ |
| 503-1541 岐阜県不破郡関ケ原町松尾字中道111番地 |
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不破郡支部 2518 |

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若宮八幡神社
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詳細
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| 徳川幕府初期時代今須村字大河内奥宮谷口付近に部落を有する頃之が建立にかかり其の後灰原十郎兵衛なる武人の崇敬するところとなる。今尚同人の馬駈場と称する跡あり。其の後漸時時代の変遷により該大河内奥の部落は他へ転住してより既に百幾十年を経過せりと然れども該神社崇敬者そして氏子は存続し、年々祭事を営みつつあ・・・・・・・・・・ |
| 503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3682番地 |
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不破郡支部 2525 |

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愛宕神社
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詳細
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| 慶長七年七月創建。美濃國不破郡今須村三輪治郎左衛門先祖某勧請の処、元禄元年正月より今須村共有の崇敬する処となり、爾来継続して現今に至る。・・・・・・・・・・ |
| 503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3615番地の2 |
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不破郡支部 2526 |

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天満神社
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詳細
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| 応永七年足利義持将軍は今度の大門合戦に今須三郎が軍功無類手柄神妙に依り美濃國不破郡の西、永久に堪寺し、菅原公の天神尊像画並びに功賞状を子孫永久に保持すべく与へ、永三郎は天神尊像を木像に彫刻し、不破郡今須村955番地を村地境内として天神神社創立祭記して崇拝子孫永久に守護し来しところ、子孫松浦彦左ェ門の・・・・・・・・・・ |
| 503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須955番地 |
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不破郡支部 2530 |

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愛宕神社
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詳細
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| 宝暦年間京都愛宕神社御分身。天保十三年十一月奉造作御祈祷。文久四年三月、明治二十九年九月、大正二年八月御屋根葺替。・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字福榎2120番地の1 |
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不破郡支部 2515 |

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若宮八幡神社
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詳細
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| 創建年紀不詳なるも、相当往古より在りし神社にして、棟札は元禄十六年三月以後なれども、其の以前の分は慶長年間関ヶ原合戦の当時紛乱したるものなるべし。西軍の主将大谷吉隆の陣営地宮上と称するは此の社を指して云ふなり。古くより当山中村住民の氏神として崇敬殊に厚し。・・・・・・・・・・ |
| 503-1544 岐阜県不破郡関ケ原町山中字了願寺32番地の1 |
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不破郡支部 2531 |

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天満神社
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詳細
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| 当社創建年紀不詳なりと雖も、郷土社寺記録集にも天満山の麓に従一位天満天神の祠ありと記載あり。社置の位置は関ヶ原部落の西方高地にして天満山の麓絶景の地にあり。境内の畔に藤古川の清流あり。近くに池寺池ありて風雅の地なり。社伝によれぱ、中古の頃京都北野神社の分霊を勧請したりと云ふ。付近一帯を社領地と定め、・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字天満山4146番地 |
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不破郡支部 2510 |

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金刀比羅神社
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詳細
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| 慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の際讃岐國領主生駒一政は黒田長政、竹中重門等と共に東軍の最右翼軍として岡山に来り、開戦直前守護神として奉持し来りし琴平神をこの岡山の松に掛け、戦捷を祈念したり。時に住民たちは請うてこの神像を譲り受け祭祀したりしと謂ふ。又慶応年間関ヶ原庄屋古山一入が社殿境等を改造したりと謂・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字岡山732番地の16 |
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不破郡支部 2506 |

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