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八幡神社
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詳細
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大宝二年霊夢により創立すると云ふ。延喜式に掲げる百駅伝の内坂本駅は現在の坂本村千旦林(旧名千駄返。信州阿智駅と往来輸送頻繁であった為此の名出づ)及中津川町字駒場の地であって神名帳所載の恵奈郡三社の一坂本神社は蓋しこの駅頭に祭祀されたもので、此の八幡神社にあたる。恰も恵那神社、中川神社と鼎足の形状にあ・・・・・・・・・・ |
509-9131 岐阜県中津川市千旦林642番地 |
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公式HP  |
中津川市支部 2288 |

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八幡神社
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詳細
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創立年月日不詳。正保3年(1646年)9月再建。濃州徇行記に当社を御厨神社と云ひ、(輦道駅村累記)八幡神社、駅南凡そ十八町村社式外なり。祭神譽田別命合祀、伊勢両宮並びに春日神社。創建年紀不詳里伝に曰ふ、伊勢両宮御厨の旧社なり、と伝う。
平成6年不審火により本殿消失するも平成7年氏子達の手により再建・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川字原3423番地の1 |
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中津川市支部 2214 |

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血洗神社
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詳細
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創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字血洗6872番地の1 |
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中津川市支部 2277 |

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田瀬神社
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詳細
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創祀未詳。貞享二年十二月再興。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
508-0201 岐阜県中津川市田瀬1番地 |
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中津川市支部 2237 |

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津島神社
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詳細
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創祀未詳なるも、享保年間ならん(社伝)。津島神社は駒場区の産土神なり。寛文以前は松源寺住職社僧として奉仕せしが、其の後修験者の奉仕する所となり、明治六年より恵那神社神職の兼務となれり。維新前奉仕せられし修験者八木氏の系譜に依り、創立は享保年間ならん。系譜は佐の如し。(初代)権大僧都正宝院玄休峯位享保・・・・・・・・・・ |
508-0011 岐阜県中津川市駒場字角田746番地 |
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中津川市支部 2222 |

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諏訪神社
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詳細
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承平元年藤原伊房公奉斎、旧馬籠村の産土神
馬籠の里に一の御祠を御建立、天照皇大神 諏訪大明神を御奉祀し朝廷の御武運長久を祈られたとあり。また日本武尊御坂街道戦勝にて御通りの 折り御参拝されし神地なりと伝承ありという。
明治五年十一月村社に列す。
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508-0502 岐阜県中津川市馬籠字アラ町5183番地 |
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中津川市支部 3354 |

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秋葉神社
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詳細
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明和6年3月(1768)に建立された事の外は不詳ですが、恵下の里は、古代より開け中津川の発生の地とも伝わりその証拠に、石器時代の矢じりや土器等の出土も数多くある。当時の有志により建立されて以来恵下、中村の氏子によって守り伝えられ、特に恐ろしき火の禍いを鎮める社として今も崇敬されています。恵那山前山の・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川2571番地の2 |
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中津川市支部 2212 |

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神明神社
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詳細
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当社縁起維新の際散逸、草創は明らかではない。源平の頃義仲勧進する処なりと言ひ、義仲の時代を遡ると考へられる。大永6年遠山氏植苗木より今の苗木城を築き移転以前、飯田城主小笠原定基の領地。既に社殿あり、代官高柴伯耆守景長奉行再建とあり。当時は熊野神社と言われていた。遠山氏居城を苗木に築いてよりは、鎮守と・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字日比野1112番地の1 |
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中津川市支部 2228 |

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上地神社
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詳細
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宝暦八年再建後、文化五年十一月拝殿補修。従来南宮神社と奉称し来りしが、明治二年一月二十五日室里神社と改め、其の後明治五年十月改修し、上地神社と奉称し崇敬している。例祭は九月二十九日であるが、いわゆる三九日に祭礼をおこなっている。三九日の重陽の節句・菊の節句という中国の考え方と稲の収穫の季節とかさなり・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸1029番地 |
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中津川市支部 2230 |

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若宮八幡神社
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詳細
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創祀未詳、寛永2(1625)年の記録あり。
天和2(1682)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、二社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣、悪疫退散を祈願した。現在は倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されてい・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字木ノ下7630番地の1 |
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中津川市支部 2250 |

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