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白山神社
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井汲開祖以末崇敬ありし、神社なるも本社創設不明の処多く、古老に聞き老木に依り又石材にて案ずるに、今より3百年?4百年前の創設にあらずやと推定する。王子宮とあるは、有名なる王子を祭りしたもの寛政七年可知若狭氏信徒一同協議の上白山神社と改む。菊理姫命を祭神とすると加賀白山神社となんら関係あるものと思われ・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字井汲877番地 |
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中津川市支部 2234 |

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上野神社
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創祀不詳なれども寛文十三年再建の棟札現存。旧幕府時代より上野村一村の産土神として厚く崇敬を集む。
創祀は不詳であるが寛文十三年再建の棟札が現存し、現在の坂下地区、上野地区にある神社の中では最も古い形式の社殿である。旧幕府時代より上野村一村の産土神社として厚く崇敬を集めている。例祭には神幸祭が行われ・・・・・・・・・・ |
509-9231 岐阜県中津川市上野244番地 |
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中津川市支部 2292 |

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諏訪神社
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東山道神坂峠の麓に有り、古くは峠越え又旅の安全も祈願された社でもあり、神坂地区(旧湯舟沢集落)の産土神社である。例祭には氏子地域住民がほとんど集り、一日を境内で過ごす昔ながらの風景を今に伝える。
境内には「手撫で石」なる岩があり、病ある者がこの石に触り、その所をさすれば不思議と良くなると古来より伝・・・・・・・・・・ |
508-0007 岐阜県中津川市神坂字味噌野420番地 |
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中津川市支部 2221 |

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天神神社
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詳しくは不明ですが、中川旧記(明治13年中川恵作成智撰)によりますと、元は市内横町にお祭りしてありましたが、寛文3年(1663)に新道(今の中仙道)ができたので、その翌年に旭ケ丘に移転し本殿も新に建立されたとあります。
当支部内では数少ない天神社の一つであり、学問の神として学生達の参拝、願掛けの絵・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川字山ノ田1361番地の2 |
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中津川市支部 2215 |

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二渡神社
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天明七年十一月創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
508-0421 岐阜県中津川市加子母字梅ノ木2254番地 |
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中津川市支部 2257 |

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内理神社
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寛文十一年創祀。奉謹請金峯社安閑天皇所願成就氏子繁昌息災延命修宇時寛文十一年蝋月吉辰とあり。一丘上に森を成して前面には田畑開け一色、一之瀬両区の崇敬社なり。此の付近に内裏屋敷と云ふ所あり。信濃宮(宗良親王)の帯宿所なりしが、永享年間尹良親王に従って英良親王来駕せられ、此処に教養せられしと謂ふ。信濃宮・・・・・・・・・・ |
509-8301 岐阜県中津川市蛭川字下一色4259番地の1 |
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中津川市支部 2283 |

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中平神社
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瀬戸と言う言葉の「せと」とは狭い又狭間という意味からきている。木曽川に迫ったこの地に少し平らな部分がありこれらの地に野久保・梅平・中平・中屋と名付け、古くからこの地を拓き、豐受姫神を祀り田畑を耕して生活してきた。この神社は「中平」に古くから鎮座している。木曽川沿いの神社では金山彦神・金山比賣神を祀っ・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸610番地 |
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中津川市支部 2229 |

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天神神社
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明暦三年九月創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字黒田中3871番地の1 |
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中津川市支部 2276 |

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菅原神社
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享保年中(1716-1736)当地開発の節勧請創立と伝ふ。
または元文二年(1737)福岡村新田山林原野に於いて彦四郎、外九名の者、新たに田畑を開墾従事。同5年5月大社(不明)より御霊を分祀、勧請し大山祇神と共に奉祀。元文5年5月(1740)当地を守る神社として建立、奉祀の場所としたことが由来であ・・・・・・・・・・ |
508-0203 岐阜県中津川市福岡3038番地 |
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中津川市支部 2241 |

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丸小根神社
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文政年間より明治初年まで秋葉神社を祀れりと云う。明治維新のとき秋葉神社を上地へ合祀し、取り払いとなりしが明治12年山の田組中に神社なきを遺憾に思い有志の者共御嶽神社等を祀った。・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸1599番地10 |
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中津川市支部 2223 |

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