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藤平神社
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詳細
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| 古来天王様と称し、警備厳重の処に保管するものの、御神宝古刀(五尺余)は千有余年前のものであるといふ。奈良朝の薬師仏・足利朝の掛仏等古代よりの伝承物多数。創祀未詳。・・・・・・・・・・ |
| 501-3307 岐阜県加茂郡富加町大平賀221番地 |
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加茂郡支部 359 |

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白鬚神社
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詳細
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| 創祀不詳なるも、正徳年間より毎年八月九日に祭典執行し、昼夜煙火を打ち上げ、其の数多数にして主なるものは「昼」「玉火」「色もみじ」「櫻花」「手牡丹」「せきちく」「松風」「下柳」等にして、其の製造は何れも原料を購入して、氏子の連中にて制作し、打ち上げたる記録現存す。尚古老の口碑に依れば、氏子連中にて、神・・・・・・・・・・ |
| 505-0307 岐阜県加茂郡八百津町野上963番地 |
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加茂郡支部 402 |

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絹丸神社
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詳細
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| 貞享三年創祀。明治四十年八月二十二日神社移転合併並びに改称の許可を受け、村社神明神社村社白山神社を合併し、字木舟に移転し、絹丸神社と改称す。末社白山神社寛永三年四月勧請。末社金刀比羅神社天保三年四月勧請。明治四十年八月二十二日本社移転合併の時、左の五社を合祀せり。津島神社天保九年六月十六日創立、稲荷・・・・・・・・・・ |
| 501-3301 岐阜県加茂郡富加町加治田85番地の2 |
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加茂郡支部 348 |

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栃井神社
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詳細
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| 往昔、人皇第十二代景行天皇、久々利村泳宮を行在所として駐輦し給ひし頃木曽路を拓かせ給ひし折、太田宿より蜂屋の里を廻り山之上より榎木峠を越えて御通の途中、此処に御休みになったので、里人が記念に御宮を建てたのだと口碑に伝へてゐる。又境内の石碑槐雪樓暉盛子の碑文にも其の由来を見る。宝永三年九月十五日奉造営・・・・・・・・・・ |
| 509-0305 岐阜県加茂郡川辺町西栃井1226番地 |
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加茂郡支部 432 |

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剱神社
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詳細
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| 元劔神社の創立年月日不詳と雖も、養老二年大山白山神社創立の際、僧泰澄二十の太刀を納め、依って劔神社と称し、現今郷社白山神社前殿として、同三年更に本社を再建したること古老の口碑に伝へ、寛政年間より棟札に明らかなり。その後現今に至る年数八百余年間祭祀を営繕維持確立し来れり。而して明治四十年十二月二十七日・・・・・・・・・・ |
| 509-1108 岐阜県加茂郡白川町広野743番地 |
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加茂郡支部 508 |

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八剱神社
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詳細
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| 創立原由未詳。往古より字神田と申す処に鎮座すと云ふ。本村は一旦中絶して荒野となる。此の年度も亦未詳。慶長年中(慶長十二年十月吉日八劔大明神を奉斎の棟札有り。)再び土地を開墾して人民移住す。之に依って右八劔大明神神社再興して今の地に遷座し、斎き祭る。追々氏子相増し、大野村寺前村の両村民之を氏神、産土神・・・・・・・・・・ |
| 509-1221 岐阜県加茂郡白川町上佐見335番地の1 |
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加茂郡支部 514 |

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稲荷神社
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詳細
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| 創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
| 501-3305 岐阜県加茂郡富加町滝田字西山966.967.968番地の1 |
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加茂郡支部 355 |

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中屋神社
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詳細
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| 創立年月不詳。美濃國神名帳に中屋神社とある本社なり。年度不詳、此の地崩壊して神社大破に及ぶ。元和七年再興して白山権現と称す。明治維新の際権現号を廃しの公布に依り、中守神社と改称す。後明治四年十二月旧号中屋神社と復称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-1102 岐阜県加茂郡白川町中川420.421番地 |
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加茂郡支部 494 |

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大洞神社
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詳細
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| 和知村役場所蔵の社寺明細帳に依りても、詳細は不明なるも、古老の口碑に依れば、美作國南條郡の当村に移住し、山野を開拓し、其の当時美作國南條郡高岡美神社の御分霊即ち水波能賣命(高?神)を奉祀し夫れより漸次開けて戸口繁殖し、上飯田の里となる。因って上飯田一村挙げて村社として崇敬したるものなり。尚本神社は古・・・・・・・・・・ |
| 505-0306 岐阜県加茂郡八百津町上飯田761番地 |
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加茂郡支部 398 |

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愛宕神社
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詳細
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| 当社の儀は、加茂山の城主肥田玄蕃殿の境内に火難除の守護神と称し、感情之有り。右玄蕃殿落城の時福島一村にて右古城跡に奉斎し火防の神と尊敬すと古老の口碑に聞き伝へ候社なり。棟札状況二年十月封建一宇愛宕山代権現本願人奥田新六大工安田孫市とあり。・・・・・・・・・・ |
| 509-0314 岐阜県加茂郡川辺町福島408番地の2 |
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加茂郡支部 445 |

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