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白鬚神社
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詳細
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当白髭神社は遠く神代昔より在せしものの如く、既に桓武天皇の御代に僧最澄の伝教大師当地に巡錫するや当白鬚神社の霊験なる夢想に依り当地に因縁ありとて仏堂を建立せんこと圓興寺の縁起に依りて明らかなり而して中古天正年間織田信長の為に災せらるや、当社宝物も共に焼失。其の後天正の末よりは棟札の如く連綿として今に・・・・・・・・・・ |
503-2221 岐阜県大垣市青墓町1丁目149番地 |
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大垣市支部 2091 |

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木曽神社
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詳細
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当社創立は平治年中に信州の城主朝日将軍木曽義仲公の守り本尊にして則ち神實は歓喜天の尊像なり。右公此地に祈願所として真言宗の一宇を建立し、義仲寺と号し、鎮守として崇敬し給ふ。其の後人皇百三代後花園院の御宇正長年中に悦厳禪師と申す僧義仲寺を宝聚院と改称し、禅宗に改宗す。代々同寺の鎮守なり。同寺境内に義仲・・・・・・・・・・ |
503-1602 岐阜県大垣市上石津町牧田1070番地 |
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養老上石津支部 3226 |

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多賀神社
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詳細
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大正十年頃近江國多賀神社御分身を勧請したもので、此の境内は覚宝院跡である。・・・・・・・・・・ |
503-2206 岐阜県大垣市赤坂新町3丁目106番地の2 |
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大垣市支部 2079 |

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白髭神社
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詳細
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創立年月不詳。明治四十四年二月十日字社軍神無格社水神神社を合併す。享和三年間領内明細記今宿村の條に左の記録あり。一白髭大明神社社 一尺五寸 一尺五寸境内御除地・・・・・・・・・・ |
503-0807 岐阜県大垣市今宿146番地 |
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大垣市支部 1969 |

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白髭神社
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詳細
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江州和田山(滋賀県甲賀)城主和田河内守義盛、弘安の末頃美濃の国安八の境、杭瀬川の辺りに井田開発奉行となり、この地に来たり陣屋を設けて屯す。開墾の業成りて、子息和田義隆(伊藤)を徳光の郷に残し置き百姓の長となす。 義高父命を奉じて長くこの地に住し百姓を統率して益々開発に励み父の遺業を継承完成す。而して・・・・・・・・・・ |
503-0983 岐阜県大垣市静里町字宮前700番地 |
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大垣市支部 2059 |

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八幡神社
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詳細
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創立年紀不詳なりと雖も、延喜式神名帳所載安八郡四座の一、荒方神社。美濃國神名帳所載安八郡十九座の一、従一位荒方明神に充て得らるる著名の古社なりと云ふ。社号も亦荒方八幡宮と称す。当社古額面に八幡宮其の肩書に荒肩神社とあり。鎌倉時代の古物なる事鑑定せらる。亦天保三年四月、同五年の棟札に荒方八幡神社と記し・・・・・・・・・・ |
503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1番地 |
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安八郡支部 4 |

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白山神社
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詳細
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本社建久年間に奉祀創建せし守護神にして其の後戦国の世となり一時荒廃せしも、神験顕著なるを以て氏子恐懼措く能はず、元禄四年再興したり。明治四十三年十一月四日許可を得て無格社諏訪神社、無格社金刀比羅神社を合祀す。・・・・・・・・・・ |
503-2207 岐阜県大垣市枝郷3丁目4番地 |
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大垣市支部 2080 |

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御首神社
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詳細
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当社は大垣市荒尾町に鎮座しており桓武天皇六代の皇胤平将門公の御神霊をお祀りしている。今から約1000年前、平将門は時の朝廷の政策に憤りをおぼえ乱(天慶の乱)を起こした。しかし藤原秀郷・平貞盛等に鎮められ将門は捕らえられ首を討たれた。その首は京に送られさらし首となったが、故郷恋しさのあまり獄門を抜け出・・・・・・・・・・ |
503-0034 岐阜県大垣市荒尾町字南瀬古1283番地の1 |
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公式HP  |
大垣市支部 1964 |

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十劔神社
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詳細
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美濃國神明帳にある石津二十三社の内正六位上物部補剣明神であるらしいが、往古より奉祀する処である。当社一に研剣と書き、正徳五年の棟札には浦剣御前と記している。補と浦と書き誤ったのであろう。後毎々誤記して戸剣大明神と称するに至っている。当社鎮座の地は山地にて、里人其の辺の谷を法剣谷と称し、池を剣の池と呼・・・・・・・・・・ |
503-1634 岐阜県大垣市上石津町細野407番地の1 |
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養老上石津支部 3254 |

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八幡神社
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詳細
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当社は、大垣市西外側町に鎮座しており、応神天皇、神功皇后、比売神をお祀りしている。天平・勝宝元年(749)東大寺が建立された時宇佐から迎え奉った八幡さまを正慶・建武(1332-1335)の年間即ち南北朝時代にこの地へ勧請したものであります。当時この地は大井荘といって東大寺の寺領でありましたが美濃国安・・・・・・・・・・ |
503-0908 岐阜県大垣市西外側町1丁目1番地 |
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大垣市支部 2016 |

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