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諏訪神社
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里伝に依れば、この地古くは谷汲村に通ずる山道にして今も尚ぬすと越と称する坂道に接し、谷汲村大字名札式内花長下神社とは表裏の地にて、其の神社と同時頃の建設の神社と伝承せらる。・・・・・・・・・・ |
501-0604 岐阜県揖斐郡揖斐川町大光寺字城裏222番地の2 |
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揖斐郡支部 2954 |

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八幡神社
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詳細
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当八幡神社の創建由緒は書類散逸して詳ならずと雖も、その創建は遠く天平の昔なりと伝ふ。・・・・・・・・・・ |
501-0707 岐阜県揖斐郡揖斐川町日坂2043番地 |
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揖斐郡支部 3007 |

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神明神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-1313 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲深坂1120番地の1 |
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揖斐郡支部 3032 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0604 岐阜県揖斐郡揖斐川町大光寺142番地の2 |
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揖斐郡支部 2953 |

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天神神社
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創建年月日不詳。慶長元年再建と之有り。慶応元年元大野郡野村藩主知事戸田淡路守氏良崇敬の神社にて、年々祭礼には野村藩より知事代理として社寺課長大属今泉清随員兵卒を引連れ参拝あらせられけり。・・・・・・・・・・ |
501-0555 岐阜県揖斐郡大野町公郷3005番地の1 |
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揖斐郡支部 2930 |

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八幡神社
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詳細
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永禄六年河本九郎左衛門正吉建立。丁年洪水の時社殿流破せしが、神宝のみ柳森に漂着し給ふ(柳森は当社より一町程南方に当たり今田畑となれり)而して百年程を経て承応二年更に本殿を改造せんとす。依って九郎左衛門五代の末孫河本八左衛門正勝社地の樹木を売却し、此の費用に充つことを領主戸田氏に出願し速やかに許可あり・・・・・・・・・・ |
503-2412 岐阜県揖斐郡池田町砂畑6番地 |
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揖斐郡支部 3054 |

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八幡神社
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往古当村を泉江荘と称し延久四年九月五日太政官牒に依り石清水八幡の荘園となるや荘内に其御分霊を祀れるものにして七堂伽藍ありしを信長放火し終に焼失す 故に其跡に灰塚あり経二間高三尺ありて全鋲古瓦の残片を発掘せしことあり 或いは本社より一町東に西宮神ありしよし現今爰を字西宮神と云ふ 又大川先に古池あり昔よ・・・・・・・・・・ |
503-2426 岐阜県揖斐郡池田町八幡字中道1747番地 |
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揖斐郡支部 3072 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0631 岐阜県揖斐郡揖斐川町上岡島123番地の2 |
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揖斐郡支部 2985 |

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神明神社
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詳細
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創建年月日不詳なるも口碑に依れば、今を去る五百年前の創建にかかり境内には古木鬱蒼として茂り、氏子の崇敬深く、盛夏の頃は氏子相集ひ涼しの場所として賑はひて地名も休み名と称せり。この地の郷民は殊に伊勢神宮を尊崇し、古より伊勢代参講を設け年々伊勢参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞2743番地 |
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揖斐郡支部 2937 |

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天神神社
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大永二年二月創祀。当社は大字加納小字鹿野にあり。当鹿野は往古現今の地よりも西にありしも享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為東に移り加納西組と称せり。粟野将監の先祖の鎮守天満大神を大永二年の創建と傳へ後年現今の地に遷座す。大垣藩戸田公より奉幣ありて祭典には殷賑を極む。文化七年三月の棟札あり。學・・・・・・・・・・ |
501-0535 岐阜県揖斐郡大野町加納70番地 |
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揖斐郡支部 2920 |

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