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天神神社
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大永二年二月創祀。当社は大字加納小字鹿野にあり。当鹿野は往古現今の地よりも西にありしも享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為東に移り加納西組と称せり。粟野将監の先祖の鎮守天満大神を大永二年の創建と傳へ後年現今の地に遷座す。大垣藩戸田公より奉幣ありて祭典には殷賑を極む。文化七年三月の棟札あり。學・・・・・・・・・・ |
501-0535 岐阜県揖斐郡大野町加納70番地 |
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揖斐郡支部 2920 |

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八幡神社
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貞治応永以前より社木又は霊石を以て御神体とし、貞治応永の頃社殿を営みしか。蔵王権現の神宮寺たりし吉野蔵王院安楽寺の天台宗より浄土に転派の頃此の八幡社は大社たりしは、尾張國甚目寺鐘銘に依り窺ふを得る。銘に「濃州大野郡揖斐庄南方保今坂之御社御宝所鐘天下泰平故也 文明三年辛卯閏八月日願主善通 徳宝 御代官・・・・・・・・・・ |
501-0602 岐阜県揖斐郡揖斐川町若松235番地 |
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揖斐郡支部 2948 |

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八幡神社
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大正六年七月十日県庁の許可を得て境内社富士並神社(木花佐久夜毘賣命)地福神社(豊受姫命)五穀神社(豊受姫命)の三社を合併奉齋し今に至る。・・・・・・・・・・ |
501-0804 岐阜県揖斐郡揖斐川町東横山488番地 |
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揖斐郡支部 3012 |

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神明神社
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古来より村社なり。当社は藤の宮とも称し境内に目通し三尺余の大藤あり。同郡??藏村の名刹??藏寺への参道筋なれば、参詣の男女老若当社に詣でて休息し、人の絶え間なかりしと傳ふ。明治三十九年勅令の趣旨に基づき明治四十四年四月十八日付岐阜県指令を以て大字小島字仲屋敷881番地に鎮座の無格社津島神社並に字古村・・・・・・・・・・ |
501-0633 岐阜県揖斐郡揖斐川町小島字浜金986番地 |
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揖斐郡支部 2989 |

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天王神社
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天正十四年三月創祀。天正十四年の創建とあり。加納氏一族の守護神として祭祀し、訴訟の際は里人祈願するを例とす。明治十一年衣裴井水につき紛擾起こるや遂に訴訟沙汰となり、関係者一同其の勝訴を祈願せしに遂に大審院の判決に依り勝訴を得たり。依って神霊の顕著なるに畏服して崇敬の念を増大す。宝暦二年及び安政三年社・・・・・・・・・・ |
501-0554 岐阜県揖斐郡大野町五之里800番地の1の1 |
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揖斐郡支部 2926 |

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神明神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0611 岐阜県揖斐郡揖斐川町小谷223番地 |
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揖斐郡支部 2958 |

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天満宮神社
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創立年月不詳なるも旧領主岡田家の陣屋内に鎮守として代々崇敬厚く、儉斎公の謹書奉額今尚存せり。明治維新後廃藩と共に此の地奉遷前島組の神社として尊信す。・・・・・・・・・・ |
501-0619 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪2744番地の3 |
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揖斐郡支部 2984 |

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八幡神社
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当社は元大字西横山字宮下に鎮座せしが、境内狭隘参拝上不便なるため、現在の地に移転し、且つ境内地たる神社有地と元境内地とを交換せんことを出願し、昭和三年二月七日岐阜県の許可を得てしょうわ三年四月二十五日移転を了す。・・・・・・・・・・ |
501-0805 岐阜県揖斐郡揖斐川町西横山397番地の4 |
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揖斐郡支部 3011 |

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神明神社
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明暦三年九月創祀。本村は平野庄の一部にして元安八郡に属し比叡山延暦寺領なり。然るに享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の際本村河川敷となりし為土地の大半を失ひ住民離散の厄に遭ひ人家は東端に立ち退き大野郡に編入。又其の際松の木を移植せるも是亦堤防敷となり更に植樹せしが現在の松の木にして里人神木と称・・・・・・・・・・ |
501-0533 岐阜県揖斐郡大野町本庄字村之内204番地 |
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揖斐郡支部 2915 |

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八幡神社
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正応二年創祀。昔の記録に曰く、正応二年奉造立とあり。元禄十三年願主中之元領主西尾八兵衛尉包教公以下十三名奉中興造立とあり。享保八年奉葺替あり。後、天保九年旗本中之元陣屋領主西尾主水公神田御屋根葺替遷宮式挙行当役所より大酒樽壱駄及幣物供進せられ、当日は神社境内外陣屋より役吏を派遣し、御輿を警護整庸に渡・・・・・・・・・・ |
501-0565 岐阜県揖斐郡大野町中之元416番地 |
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揖斐郡支部 2946 |

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