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山神神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-2502 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合字付西105番地 |
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揖斐郡支部 3094 |

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神明神社
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詳細
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創祀不詳なるも本社は古より現在の地に鎮座し巨岩の上に奉齋。俗に岩崎の宮と称す。境内には周囲一丈二尺余の古杉天を衝き、之れを見るも優に数百年以上の古社なり。尚氏子は伊勢の神宮を尊崇し、西隣の休名鎮座の神明神社の氏子と相謀り古より代参請を設け年々伊勢神宮参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞504番地 |
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揖斐郡支部 2940 |

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神明神社
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詳細
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嘉永六丑年三月十五日創建し当時氏子拾弐戸以て崇奉せり・・・・・・・・・・ |
501-1313 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲深坂2853番地の2 |
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揖斐郡支部 3030 |

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西郡神社
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詳細
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嘉応二年八月創祀。本社は人皇八十代高倉天皇の御宇嘉応二年八月従五位下栗戸太夫尉小川経元公江州宇津宮城より農州安八郡曽根城に移り続いて農州静導寺(即ち科村後志名村)に転居し、八幡大神を勧請創建したるものなり。土御門天皇の御宇元久二年八月領主西郷司田加宮公は西郡井水組合なる上野・島・長良・清水・福島・中・・・・・・・・・・ |
501-0562 岐阜県揖斐郡大野町松山小字志名130番地 |
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揖斐郡支部 2942 |

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素盞嗚神社
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創祀不詳。記録に依れば慶長年間土岐美濃守光衛の嫡子従五位大膳太夫光行の二男土岐二郎光俊大野郡饗庭居城の際悪疫流行せしを以て明応四年八月十五日開祖師慈雲和尚の弟子南北和尚をして牛頭天王を奉祀勧請せしむ。之本社創祀の始めなり。延暦元年二月牛頭天王の一宇再建さる。正徳四年八月十五日社頭修復あり。享保廿年八・・・・・・・・・・ |
501-0525 岐阜県揖斐郡大野町六里42番地 |
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揖斐郡支部 2911 |

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神明神社
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古昔鶴姫后と云あり。御手に神鏡を持て敬拝せらるること毎旦なり。故に伊勢内宮の霊璽を請ひて此の地に崇祀し奉ると云ふ。現今境内前に鶴屋敷と旧跡あり。光厳天皇小島へ御通輦のとき村名を聞き給ふ勅答に藤代村と奏上す。于時当社の藤の花開きたるを天覧し給ひて花の藤代かと詔ありしとの説あり。斯く当社は有名の社にして・・・・・・・・・・ |
503-2429 岐阜県揖斐郡池田町藤代583番地 |
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揖斐郡支部 3080 |

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神明神社
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天和三年七月久瀬川(揖斐川)大洪水の際本村旧高百九十二石八斗二升二合の内三十石余の耕地及び戸数十余戸と共に本神社境内も全部流失し、一面川原と化し、その後再度の出水に耕地の流失続出し、村民一般極めて悲嘆の状態に陥りたるを以て藩主石河佐渡守は自ら其の悲惨なる状態を臨検し、直ちに伊勢皇太神宮を奉戴し川欠浜・・・・・・・・・・ |
501-0632 岐阜県揖斐郡揖斐川町上東野347番地 |
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揖斐郡支部 2986 |

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神明神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2407 岐阜県揖斐郡池田町般若畑字野林530番地の1 |
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揖斐郡支部 3049 |

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津島神社
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詳細
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当神社の由緒は書類散逸して詳かならずと雖も鎌倉時代の創建なりと伝ふ。・・・・・・・・・・ |
501-0702 岐阜県揖斐郡揖斐川町東津汲1719番地 |
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揖斐郡支部 3001 |

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八幡神社
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詳細
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玉越方中古記及渡辺儀右ェ門記録「天和二年房島村牛島宇都宮九郎治京都へ参り正八幡の御神体を請下河原と称する場所北の方に祝治す。四月二日遷宮其の日立会人は宇都宮方に饗応し云々牛島村惣社として勧請せり」とある(大和村誌)・・・・・・・・・・ |
501-0606 岐阜県揖斐郡揖斐川町房島1224番地 |
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揖斐郡支部 2956 |

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