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八幡神社
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貞治応永以前より社木又は霊石を以て御神体とし、貞治応永の頃社殿を営みしか。蔵王権現の神宮寺たりし吉野蔵王院安楽寺の天台宗より浄土に転派の頃此の八幡社は大社たりしは、尾張國甚目寺鐘銘に依り窺ふを得る。銘に「濃州大野郡揖斐庄南方保今坂之御社御宝所鐘天下泰平故也 文明三年辛卯閏八月日願主善通 徳宝 御代官・・・・・・・・・・ |
501-0602 岐阜県揖斐郡揖斐川町若松235番地 |
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揖斐郡支部 2948 |

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八幡神社
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永禄六年河本九郎左衛門正吉建立。丁年洪水の時社殿流破せしが、神宝のみ柳森に漂着し給ふ(柳森は当社より一町程南方に当たり今田畑となれり)而して百年程を経て承応二年更に本殿を改造せんとす。依って九郎左衛門五代の末孫河本八左衛門正勝社地の樹木を売却し、此の費用に充つことを領主戸田氏に出願し速やかに許可あり・・・・・・・・・・ |
503-2412 岐阜県揖斐郡池田町砂畑6番地 |
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揖斐郡支部 3054 |

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神明神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2407 岐阜県揖斐郡池田町般若畑字野林530番地の1 |
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揖斐郡支部 3049 |

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神明神社
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古昔鶴姫后と云あり。御手に神鏡を持て敬拝せらるること毎旦なり。故に伊勢内宮の霊璽を請ひて此の地に崇祀し奉ると云ふ。現今境内前に鶴屋敷と旧跡あり。光厳天皇小島へ御通輦のとき村名を聞き給ふ勅答に藤代村と奏上す。于時当社の藤の花開きたるを天覧し給ひて花の藤代かと詔ありしとの説あり。斯く当社は有名の社にして・・・・・・・・・・ |
503-2429 岐阜県揖斐郡池田町藤代583番地 |
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揖斐郡支部 3080 |

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神明神社
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天和三年七月久瀬川(揖斐川)大洪水の際本村旧高百九十二石八斗二升二合の内三十石余の耕地及び戸数十余戸と共に本神社境内も全部流失し、一面川原と化し、その後再度の出水に耕地の流失続出し、村民一般極めて悲嘆の状態に陥りたるを以て藩主石河佐渡守は自ら其の悲惨なる状態を臨検し、直ちに伊勢皇太神宮を奉戴し川欠浜・・・・・・・・・・ |
501-0632 岐阜県揖斐郡揖斐川町上東野347番地 |
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揖斐郡支部 2986 |

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八幡神社
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正応二年創祀。昔の記録に曰く、正応二年奉造立とあり。元禄十三年願主中之元領主西尾八兵衛尉包教公以下十三名奉中興造立とあり。享保八年奉葺替あり。後、天保九年旗本中之元陣屋領主西尾主水公神田御屋根葺替遷宮式挙行当役所より大酒樽壱駄及幣物供進せられ、当日は神社境内外陣屋より役吏を派遣し、御輿を警護整庸に渡・・・・・・・・・・ |
501-0565 岐阜県揖斐郡大野町中之元416番地 |
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揖斐郡支部 2946 |

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神明神社
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創祀不詳なるも本社は古より現在の地に鎮座し巨岩の上に奉齋。俗に岩崎の宮と称す。境内には周囲一丈二尺余の古杉天を衝き、之れを見るも優に数百年以上の古社なり。尚氏子は伊勢の神宮を尊崇し、西隣の休名鎮座の神明神社の氏子と相謀り古より代参請を設け年々伊勢神宮参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞504番地 |
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揖斐郡支部 2940 |

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山神神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0619 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1215番地 |
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揖斐郡支部 2969 |

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八幡神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0621 岐阜県揖斐郡揖斐川町下岡島10番地 |
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揖斐郡支部 2974 |

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神明神社
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宝亀六年九月創祀。本社創建は宝亀六年と云ひ傳へ、元来本村は平野庄に属し、元安八郡にして比叡山延暦寺領なり。然るに享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の際本村河敷となりし為土地の大半を失ひ住民離散の厄に遭ひ人家は東端に立ち退き大野郡に属す。其の際本社を現位置に奉遷すと傳ふ。旧幕府時代大垣藩主戸田公・・・・・・・・・・ |
501-0533 岐阜県揖斐郡大野町本庄字村之内157番地 |
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揖斐郡支部 2916 |

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