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峯山神社
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詳細
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| 当神社は樫原区中央山麓字東洞に鎮座し前面揖斐川に面し、県道揖斐高月停車場線に沿ひ、古木枝を交し創建古き事を偲ばしむと雖も不幸盗難に遭ひ神宝、書類等を失ひ詳かならず。・・・・・・・・・・ |
| 501-0708 岐阜県揖斐郡揖斐川町樫原416番地 |
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揖斐郡支部 3009 |

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津島神社
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詳細
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| 由緒不詳なるも、古老の説に依れば、元応二年長者平の長者なる糟川新五太夫藤原貞成は長国寺と共に此の神社を創立し、小倉明神と称えたるも、長者平の一族没落後大洪水にて流失したるより新たに津島神社を建立したりと云ふ。・・・・・・・・・・ |
| 503-2501 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日美束1852番地の1 |
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揖斐郡支部 3085 |

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神原神社
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詳細
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| 古来大字内各所の鎮座たるを郷民の緝睦、謹礼崇徳の實を挙げん為め、荘厳に合祀す。旧字宮洞624番地に鎮座たりし村社五社神社は古来上神原の惣氏神にして創立年月は不詳なるも伝教大師この地に来りし頃は最も近郷中盛んなる神社にして遠近崇敬者多く、社前の燈火常に絶えずと云ふ。古記録等は天正の頃営社の別当たりし横・・・・・・・・・・ |
| 501-1317 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原字宮洞624番地 |
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揖斐郡支部 3039 |

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湯殿神社
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詳細
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| 創建は正親町治世と伝え天正元年安八の郡西之保城主不破河内守道貞、不破の郡笹尾山城ケ年(円興寺山)に砦を築きし時田村掃部宗衛門を遣わし奥羽より湯殿大明神を奉持し池田庄菖蒲池に奉遷し祀る。当社の神霊顕著なるを以て天正15年伊藤長門守、慶長6年石川長門守、堂14年石川主殿頭寛元年岡部美濃守定勝、同12年戸・・・・・・・・・・ |
| 503-2422 岐阜県揖斐郡池田町田畑773番地の2 |
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揖斐郡支部 3066 |

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十八社神社
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詳細
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| 宇多天皇御譲位後当國多芸郡養老の瀧へ遊幸し給ひ序て当村山内北谷に駐輦し給ふ故に此の地に天皇を始め供奉の人等を祭祀して正一位北谷大神と奉称す。後三百六十年余を経て建治二年六月本巣郡別府村へ霊璽を奉遷し御分社を新建せらる。創立延喜十年の際は十八社ありしも中世國乱の為焼失す。依って十数社を合祀して十八社と・・・・・・・・・・ |
| 503-2428 岐阜県揖斐郡池田町片山2988番地の2 |
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揖斐郡支部 3078 |

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白鬚神社
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詳細
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| 当社の由緒は元治元年時の庄屋伝九郎火災に遭ひ、書類焼失の為詳かならずと雖も、口碑に依れば創建は鎌倉時代にして、字宮山に鎮座されしが、伊勢山崩潰の大災害に依り、現在の字宮洞に移転鎮座せられたり。・・・・・・・・・・ |
| 501-0705 岐阜県揖斐郡揖斐川町外津汲1375番地 |
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揖斐郡支部 3005 |

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白山神社
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詳細
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| 後醍醐帝の御宇元歴庚申年播磨国沖城主正三位播磨小粥赤松国長公嫡男判官二郎赤松則村公護良親王と倶に比叡山に入り剃髪して赤松 心と号し永弘元未年二月大塔宮の令 を賜り摂津摩耶城に移住し林丹波守をして濃州大野郡松山村に居住せしめたられ 村水洗の峯に白山大権現を勧請奉祀せられしを以て現今水洗に宮の跡存在せり・・・・・・・・・・ |
| 501-0562 岐阜県揖斐郡大野町松山小字松山117番地 |
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揖斐郡支部 2943 |

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愛宕神社
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詳細
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| 大野町大字稲富は往年五ツの社が合併して誕生したのである。この一つの村である来松村があった。この村は式内来松神社の氏子として往古から維持し来た同神社は徳川末期迄大垣戸田藩より領米を得て来たが、維新後はその収入がなく、僅かな氏子では到底困難となった。偶々五ヶ村が合併して福富となったので、来振神社も新発足・・・・・・・・・・ |
| 501-0501 岐阜県揖斐郡大野町稲富字天王山2589番地の1 |
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揖斐郡支部 2890 |

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楠神社
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詳細
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| 建武元年創祀。その他不詳。・・・・・・・・・・ |
| 501-1302 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲岐礼398番地の1 |
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揖斐郡支部 3020 |

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熊野神社
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詳細
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| 創建年月日不詳。古来一村氏神とす。古文書及棟札等は往年火災に遭い加ふるに藪川筋堤防決壊に依り焼失或いは流失せしため、現存せざるも口碑伝説の古記録に依れば、鎌倉権五郎景政十三代の曾孫垂井城主長屋太郎右衛門景教の嫡男長屋大膳亮景興の嗣男長屋與五右衛門景直の二男長屋二郎丸景満の創建なり。祖父長屋大膳亮景興・・・・・・・・・・ |
| 501-0512 岐阜県揖斐郡大野町上秋字権現前176番地の1 |
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揖斐郡支部 2899 |

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