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住吉神社
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詳細
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創祀不詳。昭和六年十月三十日同村願成寺字西墳之越無格社天満神社(菅原道真)並同字無格社稲荷神社(倉稲魂命)を合併。昭和七年十二月二十四日同村願成寺字住吉下無格社神明神社(天照皇大神)及山神神社二社(何れも大山祇命)を合祀。・・・・・・・・・・ |
503-2405 岐阜県揖斐郡池田町願成寺内山684番地 |
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揖斐郡支部 3047 |

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八王子神社
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詳細
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文政十年四月の上野村明細帳によれば当社の創建は戦国時代以前と目され往時七堂伽藍あり。百五十石余の朱印地であったが、織田信長に焼き払はれ同時に背後の山のみを残し、朱印地を没収されたり。徳川時代に至り大垣藩主戸田采女正の信仰殊に篤く御造営遷宮式には代官同心を代参させ、其の都度多分の寄付ありたり。寛保三年・・・・・・・・・・ |
501-0634 岐阜県揖斐郡揖斐川町上野787番地の1 |
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揖斐郡支部 2994 |

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五里神社
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詳細
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正安元年十二月六日創祀。五里の名は古田制の名目にして古代田積を計算するに条理坪を以て其の位置を定めたる際の遺名にて実に奈良朝時代の名なり。又正安元年十二月六日将軍日久野親王政所の下文に美濃國五里郷の名見え当地方は古く開け古く村落あり。従って当社は其の当時の創建と傳ふ。天正十七年豊臣秀吉検地以前に衣裴・・・・・・・・・・ |
501-0554 岐阜県揖斐郡大野町五之里166番地 |
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揖斐郡支部 2927 |

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白山神社
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詳細
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後醍醐帝の御宇元歴庚申年播磨国沖城主正三位播磨小粥赤松国長公嫡男判官二郎赤松則村公護良親王と倶に比叡山に入り剃髪して赤松 心と号し永弘元未年二月大塔宮の令 を賜り摂津摩耶城に移住し林丹波守をして濃州大野郡松山村に居住せしめたられ 村水洗の峯に白山大権現を勧請奉祀せられしを以て現今水洗に宮の跡存在せり・・・・・・・・・・ |
501-0562 岐阜県揖斐郡大野町松山小字松山117番地 |
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揖斐郡支部 2943 |

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日吉神社
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詳細
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本社は近江国比叡坂本鎮座の日吉大社の御分神である。建久元年(1190)源頼朝右近衛大将となり京都青蓮院三世慈円に青蓮院領として美濃国小島庄を寄進された。その由緒により庄園鎮護の為「日吉山王社」をこの地に勧請祭祀された。今より約八百年前の創建である。御祭神は大山咋神をお祀りしている。・・・・・・・・・・ |
501-0634 岐阜県揖斐郡揖斐川町上野857番地 |
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揖斐郡支部 2991 |

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六社神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2503 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日川合1682番地の1 |
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揖斐郡支部 3100 |

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八幡神社
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詳細
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創建は雄略治世第2戊戌年秋9月と伝え孝謙天皇天平宝字4庚子年4月再建。勅願所として少彦名命を造営使として社殿並に七堂伽藍を建立せしめ本宮離宮若宮外宮四ケ寺を建て別当職置く而して附するに神領300石を以て広哀12町を画し之を給す。後光巌院当国垂井行社所より小島村瑞巌寺に行幸の節当地を御通輦遊ばされ当社・・・・・・・・・・ |
503-2426 岐阜県揖斐郡池田町八幡字村中918番地 |
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揖斐郡支部 3076 |

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岩井神社
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詳細
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往古西山の川合中山のほとりに春日大神の天降らせると傳へる楠の大木あり。これよりこのわたりを春日谷と称せりとなむ。顧ふに奈良朝の初め各所に春日大明神を祀り奉れるに因るものぞかし。その後出水あり(慶雲四年六月の地震とも云ふ)山崩れのためこの大木流れその行方を知らず。(一説に春日谷に春日大神を祀りしが土人・・・・・・・・・・ |
501-0625 岐阜県揖斐郡揖斐川町黒田433番地 |
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揖斐郡支部 2979 |

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剣神社
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詳細
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当神社は美濃神名記に正六位上都留岐明神とある古社にして、享和三年の棟札に剱宮当村伐明ヶ明神と見えたり。古伝に岐礼より来り村を開く際使用せる剱を祀ると称す。・・・・・・・・・・ |
501-0701 岐阜県揖斐郡揖斐川町小津3094番地の2 |
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揖斐郡支部 3000 |

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白倉神社
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詳細
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創建年代不詳なれども、後醍醐天皇の御代、建武元年天皇隠岐國に遷奉于時藤原貞興岐礼庄配流薨去す。依って応永の頃大納言藤原貞興公の勲功を追贈し根尾郷岐礼庄高科裏山に社殿を創建し、白倉明神と尊称し奉祀せし由古老の口碑に伝存せり。建武延元の頃堀口美濃字貞満公根尾谷を領、越前朝倉公と連絡を通じ、南朝方と為り、・・・・・・・・・・ |
501-1301 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲高科裏山792番地の1 |
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揖斐郡支部 3017 |

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