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大山神社
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社伝によれば平安朝末期以前創祀。往昔より当組の産土神として崇敬篤く、元白山神社と称せしが明治四十四年九月十四日大谷区字柿坂村社大國主神社を合併し大山神社と改称す。元禄七年六月検地の砌白山権現宮地一旦一畝二十二歩除地村抱。明治四十四年十月拝殿鳥居新築。昭和十五年十一月二十日本殿幣殿神饌所改築。昭和十六・・・・・・・・・・ |
509-4311 岐阜県飛騨市河合町大谷19番地 |
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吉城郡支部 1339 |

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山神神社
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創祀未詳。元禄七年検地の時、除地七畝歩を付す。寛政四年再建。昭和五年十一月大字鍬の字洞鎮座無格社若宮神社を合併す。昭和九年拝殿修繕。・・・・・・・・・・ |
509-4543 岐阜県飛騨市宮川町桑野453番地 |
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吉城郡支部 1366 |

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白山神社
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創祀未詳。此の地跡津川の水源にして最も高き地にして、北越の境界に近き横嶽山の半脈に清浄の名池あり。この池の清水を汲み取り来たって神殿に奉り雨を乞えば必ず感応あり。故に旱魃の時には祈祷する。一村の氏神と崇敬し、春秋二季祭典怠り無く執行す。・・・・・・・・・・ |
506-1100 岐阜県飛騨市神岡町大多和100番地 |
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吉城郡支部 1250 |

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白山神社
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社伝によれば、室町幕府時代創祀。当社は以前本村大字角川字谷口に鎮座し、諸人の崇敬殊の外篤く、四時の祭祀怠る事なし。然るに当天生村は開拓の祖助市(現戸主大家乙次郎)に往昔角川組より分家せる者にて日夜祖神白山神を崇仰し、子孫に相伝す。慶長二年八月一同協議の上清浄明媚の地を選び、社殿を造営し、以て遙拝所と・・・・・・・・・・ |
509-4315 岐阜県飛騨市河合町天生64番地の2 |
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吉城郡支部 1343 |

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神明神社
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創祀未詳。里説に云ふ。中古領主江馬家二代高原太郎朝方殿の代に領内村々耕地開墾道路修繕の役として、本城より地の方北越境界守衛の為横山清太夫重政此の地に旅館を建て、引き移り耕地を開墾し道路を開き民家増益して、一村を開く。奮名荒田を改めて横山村と通称す。村地の頭に皇大神宮の御分霊を勧請奉りて一村の産土神と・・・・・・・・・・ |
506-1203 岐阜県飛騨市神岡町横山494番地 |
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吉城郡支部 1256 |

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神明神社
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創祀未詳なれども、「神社明細帳」によれば、里伝に曰く、大村(上野、中野、下野を合はせ大村と云ふ)の支村上野と云ふ。竹木叢生の原野あり。ここに安芸國毛利氏の家門にて永井治郎兵衛正玄の嚢祖某なる人故ありて国元を流浪し、諸国を経歴して、此の地に来たり、初めて開墾の業を創む。彼天照皇大御神を祭祀し奉る。後年・・・・・・・・・・ |
509-4263 岐阜県飛騨市古川町上野202番地 |
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吉城郡支部 1325 |

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桂木神社
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社伝によれば平安朝末期以前創祀。里伝に曰く、社頭なる大木の桂。周囲一丈二尺余なるを、古来親睦と唱へ桂木大明神と崇め、祀り来れりとぞ。昭和十年九月十五日幣殿拝殿改築。・・・・・・・・・・ |
509-4306 岐阜県飛騨市河合町中沢上49番地 |
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吉城郡支部 1338 |

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埴土神社
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社伝によれば、平安朝以前の創祀。当社は元白山神社と称号せしを大正二年十月二十九日埴土神社と改称す。元禄七年八月検地の砌白山権現宮地十二歩除地村抱。昭和十六年八月境内整備及び石鳥居社号標手水鉢狛犬等を建設。・・・・・・・・・・ |
509-4304 岐阜県飛騨市河合町羽根528番地 |
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吉城郡支部 1336 |

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白山神社
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創祀未詳。此の地高原川と跡津川と両川落合の地にて、一檀の孤山あり。中古領主江馬氏此の孤山に砦を築いて鬼ヶ城と号す。家臣一瀬清四郎を遣わして砦を守衛せしめた。此の臣渓川の、時々洪水による往来通利の止み、人民の苦難を嘆き、桟橋を渡すも、夏期洪水によって橋梁を流損す。又駕筏を造って渡すも、程なく流失した。・・・・・・・・・・ |
506-1213 岐阜県飛騨市神岡町土135番地 |
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吉城郡支部 1264 |

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秋葉神社
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社伝によれば、江戸幕府時代創祀。口碑に曰く、往古高牧組に大火あり。全戸殆ど災厄に遭ひし時、里人藤四郎なる者遠州秋葉山に詣で御分霊を受け、現在の所に奉安祈請するに爾来その災害なく、里人愈々信仰篤し。昭和六年十月一日稲野松太郎より境内地九十坪寄進。昭和十五年十月拝殿改築。・・・・・・・・・・ |
509-4421 岐阜県飛騨市宮川町高牧167番地 |
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吉城郡支部 1354 |

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