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八幡神社
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詳細
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正保三年三月二十一日常葉六郎衛門、伴與惣兵衛、福井新左衛門連名上畑一反歩寄進。境内神社御鍬神社は享和元年七月勧請。・・・・・・・・・・ |
503-1243 岐阜県養老郡養老町五日市536番地 |
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養老上石津支部 3109 |

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諏訪神社
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詳細
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養老郡多芸村多芸、多岐神社御旅所なり。弘治永禄の頃までは毎年二季祭礼の節神輿渡御ありしといへり。今も該社例祭の日、多岐より奉幣あり。一説に当社は多岐神社の御旅所なれば阿須波神なるを、音の似たるより諏訪と誤れるものならんといへり。・・・・・・・・・・ |
503-1332 岐阜県養老郡養老町中60番地の1 |
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養老上石津支部 3186 |

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天神神社
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詳細
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安部氏転住の際守り本尊として祀る創建年月不詳。・・・・・・・・・・ |
503-1276 岐阜県養老郡養老町釜段1120番地 |
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養老上石津支部 3145 |

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神明神社
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詳細
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正保二年勧請。慶安二年正月十九日社殿造営。創建以来村社たり。明治二年六月庄屋等より笠松縣御役所へ差出したる明細帳に「堺内先前より境内共五石に御坐候」とあり。当地豊織時代は荒蕪の地なりしが、後藤義明京都より下り、正保二年領主の許可を得て開墾し、慶安五年検地を受く。当社の鎮座地は元根古地新田字和名田と称・・・・・・・・・・ |
503-1274 岐阜県養老郡養老町瑞穂790番地の1 |
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養老上石津支部 3136 |

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秋葉神社
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詳細
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文政八年勧請。遠江國秋葉山秋葉神社を祀る。明治十三年三月十五日信徒等の請願によって社号公称を許可せらる。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田26番地の4 |
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養老上石津支部 3160 |

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須賀神社
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詳細
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沿革不詳。当社は元大字安久字飛鳥井に鎮座せしが、牧田川に沿へるため、時々水害を蒙り、尊厳を冒涜するを以て明治十六年現在の地に移転す。当社元須佐之男神社と称せしが、大正十五年八月に於いて明治十六年以前より須賀神社と称したること判明したるを以て現在の社名に訂正す。・・・・・・・・・・ |
503-1338 岐阜県養老郡養老町安久110番地の1 |
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養老上石津支部 3197 |

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白山神社
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詳細
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天文三年差出帳(村中之支配宮五社隼人大明神拝殿御座候境内三畝十歩前々より御除地神明内宮境内一畝歩前々より御除地神明外宮境内十五歩前々より御除地白山権現境内十二歩前々より御除地若宮八幡宮前々より御除地。)文化九年十二月明細帳(神社六ヶ所、神明宮両社八幡宮白山大権現早人大明神弁才天右六社境内一反七畝十四・・・・・・・・・・ |
503-1385 岐阜県養老郡養老町上之郷字西北ノ切37番地 |
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養老上石津支部 3216 |

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神明神社
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詳細
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昭和三十四年神明町発足に伴ひ守護神たる神社創立の要望起こり、全町民奉賛のもとに昭和三十六年八月神明神社奉祀委員会を結成し、祭神として字神明古来の産土神たる神明神社、並びに大字押越の総氏神たる八幡大神を奉齋することに決し、同年九月宮地地鎮祭、同年十一月一日鎮座祭、同年十一月三日御鎮座奉祝祭を挙行した。・・・・・・・・・・ |
503-1316 岐阜県養老郡養老町押越30番地の18 |
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養老上石津支部 3171 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳なれども、源義朝平治の乱に破れて、尾張國野間の内海に落ちんとせし時、この地を通過し、当社に参拝路次恙無く彼の地に至らむ事を祈りけるに、当村の伊藤某と云へる者、玄光と共に義朝を扶けて柴船に潜伏せしめて難なく彼の地に着船せしめたりと云ひ、古書に有名なり。当時義朝の休息せし地も休息所と云ふ。其の傍・・・・・・・・・・ |
503-1325 岐阜県養老郡養老町飯ノ木477番地の1 |
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養老上石津支部 3179 |

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須賀神社
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詳細
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創祀不詳なれども、里老の口碑に依れば、往古信徒有志相謀り創建せるものにして洪水の為古文書流失して不詳。伝ふる所によれば、往古信徒有志相謀りて創建せるものにして不詳。境内四坪。・・・・・・・・・・ |
503-1381 岐阜県養老郡養老町栗笠堤塘無番地 |
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養老上石津支部 3201 |

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