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天満神社
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詳細
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慶安三年の洪水により古文書散逸して創立年紀由縁不詳。延宝五年大垣藩へ差し出したる古絵図に「天神」と記されたり。又享和三年御領内明細記に「境内御除地」とあり。・・・・・・・・・・ |
503-1334 岐阜県養老郡養老町豊288番地 |
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養老上石津支部 3187 |

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八幡神社
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詳細
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里伝に「延徳三年十月三木権大納言教忠卿古田彦右衛門安久を伴ひ郊外に遊ぶ。森林中藤の繁茂したる所に一個の古箱有るを見る。箱表に「八幡古田兵」の五文を書す。両人思へらく、此古箱は?に洪水の際この地に漂着せしものなり。須らく之を奉じて鎮守の神と為すべしと。則ち八幡宮と崇め奉祀せり」正保五年領主小笠原土佐守・・・・・・・・・・ |
503-1273 岐阜県養老郡養老町根古地字城屋敷231番地 |
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養老上石津支部 3135 |

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八幡神社
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詳細
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承徳二年洪水にて神社に関する書類流失し、創建年月由縁不詳。熊野神社創建年月由緒不明古来末社。御鍬神社明和に鎮座之処水害の患に依り明治八年七月八日八幡神社境内に移転す。・・・・・・・・・・ |
503-1336 岐阜県養老郡養老町飯積字柵場162番地 |
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養老上石津支部 3193 |

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稲荷神社
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詳細
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勧請年月不詳。享和三年御領内明細記島田村の條に「稲荷大明神境内御除地」とあり。境内社金刀比羅神社は文化四年信仰の輩禅宗即心寺境内に勧請せしを、安政六年十月此の地に移す。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田257番地の3 |
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養老上石津支部 3166 |

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神明神社
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詳細
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この神社は現在の日比友三の祖先が大跡新田開拓の折祭ったもので、三百年以上の歴史を有し、神社の森は現在の津屋川下流へ一町以上も続いていたということだが、度々の洪水の為堤が決潰し、現在では森が無い。現在の氏子は日比家及開墾に協力した大跡新田より小倉に移住した者の子孫で、之等により盛な祭を行っている。・・・・・・・・・・ |
503-1262 岐阜県養老郡養老町小倉字宮下地内 |
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養老上石津支部 3126 |

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御鍬神社
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詳細
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勧請年月不詳。当社は古くより大字直江字榎町堤塘の内4坪を境内地として鎮座ありしを、昭和26年8月28日字枠池の地に移転遷座。同年10月10日盛大なる奉祝祭を齋行せり。・・・・・・・・・・ |
503-1337 岐阜県養老郡養老町直江517番地 |
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養老上石津支部 3196 |

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八幡神社
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詳細
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「創立年月不詳。寛延年中勧請の由相傳ふ。」と神社明細帳に記載せられたる事あるも、その後発見せられたる古帳「御百八燈之帳」に延宝二年八月十五日起りを以て年々祭礼に関する事項を記録しあるを見れば、延宝以前より鎮座せられたる古社なること明らかなり。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田1254番地 |
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養老上石津支部 3163 |

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神明神社
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詳細
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創祀不詳。元多藝郡大墳村字前田(現今養老郡多岐村多岐)に鎮座の処、明治二十五年三月岐阜県の許可を得て、同二十五年十一月現在の地に移転す。・・・・・・・・・・ |
503-1263 岐阜県養老郡養老町船見260番地の3 |
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養老上石津支部 3127 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。天保二年四月十九日、慶応三年四月吉日、文化二年濃陽村々明細記宇田村の条に八幡宮社三尺五寸、三尺五寸拝殿九尺二間境内二畝十八歩御除地とあり。・・・・・・・・・・ |
503-1335 岐阜県養老郡養老町宇田字六反田782番地 |
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養老上石津支部 3190 |

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八幡神社
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詳細
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勧請年月不詳。正保三年三月領主小笠原主膳正より社地寄付。当社は古来より大字直江字経堂57番地の1に鎮座ありしを昭和26年8月28日此の地に移転遷座。同年十月十日盛大なる奉祝祭を齋行せり。・・・・・・・・・・ |
503-1337 岐阜県養老郡養老町直江525番地 |
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養老上石津支部 3194 |

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