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麻生野神社
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詳細
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| 天文九年創祀。江馬十四代左京之進平ら時経次男右ェ門太夫直盛と倶に麻生野洞ノ山に分城を築き、此処に居す。之を麻生野右ェ門太夫直盛と称す時に天文九年麻生野字野田に宇佐八幡宮を勧請すと云々。又里説に所謂直盛麻生野の野を開墾し野田と字して其の中央に此の大神を勧請し、その地主神と祭祀を執行、崇敬すと云う。江馬・・・・・・・・・・ |
| 506-1131 岐阜県飛騨市神岡町麻生野296番地 |
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吉城郡支部 1231 |

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八幡神社
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詳細
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| 元郷社應神天皇を祀る延長8年石清水八幡宮を勸請し、康平6年源義家本社及び末社を再建したと伝えられる。鎮座地は石清水八幡宮御願塔院領として有名な明智荘で既に承暦2年12月の文書にその名が見える、本社はかかる関係から勸請奉祀せられた古社である、後長祿3年に斎藤利永入道妙椿は社殿を修造営したと伝えられてい・・・・・・・・・・ |
| 505-0122 岐阜県可児郡御嵩町顔戸1172番地の1 |
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可児支部 561 |

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八幡神社
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詳細
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| 創祀未詳なれども、御輿の内に弘安五年五月、本願比久尼蓮意趣者先年子息甚太郎当病平癒立願也と記す。亦延文元年十一月三日再興、願主沙弥道円と記せり。濃陽志略に八幡祠放生寺之を掌る。天正自由三年二月二十日図録古記焼失と記せり。実にこの時古記焼失しけん。幸いに御輿は社内にあらざるを以て火災を免れたるものなる・・・・・・・・・・ |
| 509-0224 岐阜県可児市久々利1017番地 |
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可児支部 602 |

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八幡神社
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詳細
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| 御祭神応神天皇は武運長久、家内安全、五穀豊穣の神として氏子の崇敬篤く永年に亘り讃仰しきたれり、殊に氏子の住む北柿ヶ瀬及び南柿ヶ瀬の治水不備の往時、現長良川の古川と戸羽川及び板屋川の合流点に在りて洪水或は堤防の欠壊等に困る水害を繰り返す所謂水害の常襲地帯のため農耕、水難鎮護の神とし崇敬し来たり、氏子の・・・・・・・・・・ |
| 501-1133 岐阜県岐阜市北柿ケ瀬144番地の1 |
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岐阜市支部 1073 |

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八幡神社
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詳細
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| 元和六年創建。大ヶ洞里民今井次良左ェ門忠親の勧請する所なり。同氏は木曽義仲の臣今井兼平長子対馬守貞信の末孫なり。木曽家滅亡の後に貞信宮田村に来住し十代信家三木右京進に仕ふ。天正中十八代信孟に至り、三木家没落して民間に下る。依って竹ノ上に移住し、相続て二十三代忠親に至る。乃ち祖先兼平貞信の守神と崇むる・・・・・・・・・・ |
| 509-2519 岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地 |
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益田支部 322 |

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森越八幡神社
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詳細
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| 当社元八幡神社と称し、其の創立年月不詳。明治維新村社に列し、同四十二年六月日和田八幡神社へ合併合祀せり。然るに昭和二十二年四月二十四日付を以て神社本庁所属として旧地に再建創立して森越八幡神社と称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-3404 岐阜県高山市高根町小日和田字東垣内297番地 |
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大野支部 2201 |

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八幡神社
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詳細
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| 創祀未詳。里伝に曰く、生駒氏城当村今の古城山に城あり。当社に当たりて鬼門なり。依って鬼門守護のため勧請せしもの也と云ふ。元同村字渡鎮座稲荷神社、同字鎮座秋葉神社同年四月二十五日八幡神社に合祀奉斎す。・・・・・・・・・・ |
| 509-0206 岐阜県可児市土田2906番地 |
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可児支部 583 |

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八幡神社
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詳細
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| 天正五年八月創立。その他縁由不詳。・・・・・・・・・・ |
| 501-0431 岐阜県本巣郡北方町北方字大門1349番地 |
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本巣郡支部 2772 |

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垂井神社
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詳細
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| 創祀未詳なれど、日本武命の眼病並足を洗浄され、保養されたと伝へられ、俳聖芭蕉の古句あり。聖武天皇の行幸せられたと伝へらる。・・・・・・・・・・ |
| 503-2100 岐阜県不破郡垂井町1351番地の1の2 |
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不破郡支部 2537 |

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八幡神社
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| 当神社は創建年紀不詳なりと雖も、小関村の起源は最も古し。即ち壬申の乱の際天武天皇此の地に大捷を得給ひ、関東の地勢たるや軍事上警備上重要なる地点たる事を認められ、之がため翌白鳳元年には此の地に不破の関の正庁を設置せらる際小関村は北国脇往還の関門たるの故を以て不破関(大関)の姉妹関たる(小関)を置かる。・・・・・・・・・・ |
| 503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字一二ノ湯1371番地 |
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不破郡支部 2508 |

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