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八幡神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-6006 岐阜県羽島郡岐南町伏屋5-93 |
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羽島支部 133 |

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八幡神社
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詳細
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創建年月日不詳。慶長九年五月再建と有り。元不破郡岩手城主竹中半兵衛崇敬の神にして、毎年例祭には岩手城主より代参せられ、金穀の供進も之有りしも、書類一切焼失の為唯古老の伝説に存するのみ。公卿字十之坪鎮座祭神応神天皇勧請年月日不詳。古伝に大御業城主竹中遠江守の鎮守と称す。・・・・・・・・・・ |
501-0555 岐阜県揖斐郡大野町公郷2103番地 |
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揖斐郡支部 2933 |

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八幡神社
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詳細
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伝説に依れば宝暦年間の勧請創建にして、粕ヶ原中之切の氏神として遷宮し、今日に及びたる。・・・・・・・・・・ |
503-2402 岐阜県揖斐郡池田町粕ケ原字宮浦964番地の1 |
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揖斐郡支部 3043 |

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八幡神社
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創立年月は詳かならざるも、往古神仏混淆の時代は八幡大菩薩と唱へたるも、明治元年五月官制改正の神仏分離に依り八幡神社と改称し、明治年間中に神明社を合併し、奉齋したるものなり。・・・・・・・・・・ |
503-0643 岐阜県海津市海津町札野261番地 |
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海津市支部 735 |

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八幡神社
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詳細
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社伝によれば平安朝末期創祀。里伝に曰く、往昔三河國藤右衛門漂落し、密かに当地へ居住を求めし時、自宅に崇祀せしは石清水八幡宮なり。然るに巣之内組は連山の凹所なれば折々俗に云ふ出水渓間より流水の来ること度々にて、住民田畑の荒蕪せるを嘆き、一同協議を遂げ、谷の口字上川原(現在の宮地)といふ所に右神璽を奉遷・・・・・・・・・・ |
509-4404 岐阜県飛騨市宮川町巣之内字上川原35番地 |
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吉城郡支部 1349 |

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八幡神社
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創立年月日不詳なれど、言傳には三百年以上経ている社なり。境内に大楠檜などあり、古社たることを思はさる。明治初年村社に列し、同境内に五穀社を祀り特に五穀祭を例年行ふ。・・・・・・・・・・ |
503-0534 岐阜県海津市南濃町境字東緑1312番地の1 |
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海津市支部 685 |

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八幡神社
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創祀未詳。天正年間、金森長近、尾張より高山へ赴任の際、丹羽長秀の縁者をこの地に住まはせ、高山尾張の往来の時の宿とした。その丹羽氏、石清水八幡より勧請創建す。・・・・・・・・・・ |
501-3521 岐阜県関市下之保字平林1337番地 |
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武儀支部 2655 |

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八幡神社
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永禄九年八月創立。明治九年神實、神鏡を納む。大正十二年岐阜県指令を以て同大字山五無格社猿田彦神社を合併許可を受け同年七月二十四日合併す。・・・・・・・・・・ |
501-0311 岐阜県瑞穂市重里字内田615番地 |
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本巣郡支部 2719 |

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八幡神社
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詳細
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創祀未詳なれども、「神社明細帳」によれば、里伝に曰く、旧蹟は現今の地より一町余り乾の方に在り。字下落吉備森と称す。今尚田圃の中に石塚の存するあり。是を昔時の社地と云ふ。元来笹ヶ洞と一村たりしを分離して二村とするときは則ち社地村尻となるを以て敬畏に堪へず、村頭へ移転す。今の住上是なり。・・・・・・・・・・ |
509-4273 岐阜県飛騨市古川町寺地800番地 |
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吉城郡支部 1330 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳。天保二年四月十九日、慶応三年四月吉日、文化二年濃陽村々明細記宇田村の条に八幡宮社三尺五寸、三尺五寸拝殿九尺二間境内二畝十八歩御除地とあり。・・・・・・・・・・ |
503-1335 岐阜県養老郡養老町宇田字六反田782番地 |
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養老上石津支部 3190 |

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