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八幡神社
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詳細
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| 創立慶安二年十一月五日之を奉建す。元禄二年二月十一日再建。明治六年村社に列す。・・・・・・・・・・ |
| 507-0055 岐阜県多治見市喜多町8丁目28番地 |
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多治見支部 1917 |

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八幡神社
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| 美濃國神名帳に曰く、各務郡二十二座の内従五位下児我明神是なり。曾て当村の内中仙道の往還筋の辺に今児我野と云ふ地あり。僅かに小高き処あり。此処小樹数本生茂り荊棘蔓延し、其の中央に径一尺許りの一圓石あり。これ土俗八幡と称し児我八幡とも呼ばる。此の児我神は祭神伊我香色乎雄命ならんか。物部氏の祖神にして当國・・・・・・・・・・ |
| 509-0105 岐阜県各務原市各務山の前町4丁目199番地 |
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各務原市支部 820 |

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八幡神社
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| 創立年月は不詳なるも奥村家蒼祖の建立にして、文化三年以来氏子の総意により、社殿の改築をなし、殊に境内には近郷希に見る老樹ありて、神域の尊厳を保ち崇敬厚し。・・・・・・・・・・ |
| 501-6121 岐阜県岐阜市柳津町上佐波1丁目41番地 |
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羽島支部 195 |

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八幡神社
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| 惣島、弓掛両村山境に奉祀せる神を現在地に遷座し、下馬瀬五ヶ村(井谷、名丸、惣島、西村、下山)の産土神とすると伝へる。社宝に鰐口一口あり。その銘に「文亀三年三月十日、地蔵菩薩宝前敬白」とあり。中古以来八幡大菩薩を祀る宮として菩薩宮と称する。故に地蔵菩薩と誤りたるか。或いは地蔵菩薩を八幡大神の本地佛とせ・・・・・・・・・・ |
| 509-2614 岐阜県下呂市馬瀬惣島467番地 |
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益田支部 331 |

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八幡神社
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| 明暦三年五月十五日創祀。当社御祭神は品陀別命にして、後に応神天皇と諡せり。御本社は京都府下男山八幡宮なり。当社は明暦三年五月十五日創建と明細帳に見ゆれ共、古老の口碑に依れば、土岐頼遠氏足利直義に従ひて戦功あり。後延元三年青野原に於いて源頼家と戦ひ、戦敗して長森城に帰る。よって神明の加護に依らずんば戦・・・・・・・・・・ |
| 509-5101 岐阜県土岐市泉町河合字宮洞1020番地の2 |
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土岐支部 2308 |

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八幡神社
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| 創祀未詳なれども、御輿の内に弘安五年五月、本願比久尼蓮意趣者先年子息甚太郎当病平癒立願也と記す。亦延文元年十一月三日再興、願主沙弥道円と記せり。濃陽志略に八幡祠放生寺之を掌る。天正自由三年二月二十日図録古記焼失と記せり。実にこの時古記焼失しけん。幸いに御輿は社内にあらざるを以て火災を免れたるものなる・・・・・・・・・・ |
| 509-0224 岐阜県可児市久々利1017番地 |
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可児支部 602 |

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八幡神社
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| 元和六年創建。大ヶ洞里民今井次良左ェ門忠親の勧請する所なり。同氏は木曽義仲の臣今井兼平長子対馬守貞信の末孫なり。木曽家滅亡の後に貞信宮田村に来住し十代信家三木右京進に仕ふ。天正中十八代信孟に至り、三木家没落して民間に下る。依って竹ノ上に移住し、相続て二十三代忠親に至る。乃ち祖先兼平貞信の守神と崇むる・・・・・・・・・・ |
| 509-2519 岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地 |
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益田支部 322 |

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八幡神社
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| 創祀未詳なれども、天正十三年再建の記録あり。・・・・・・・・・・ |
| 508-0006 岐阜県中津川市落合字与坂1083番地 |
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中津川市支部 2220 |

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八幡神社
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| 八幡神社は武芸川町八幡、神の洞に鎮座ましまし、祭神は応仁天皇を祀り、その神域の幽玄にして森厳なるは世間のあまねく知るところである。創建は養老元年(717)で泰澄大師が当地を巡錫の折りにふと大碓命の伝説を聞き「みこと」を祀り八幡神社としていつき奉ったのが発祥である。その後宇多天皇はこの地へ御幸されてこ・・・・・・・・・・ |
| 501-2603 岐阜県関市武芸川町八幡1712番地 |
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武儀支部 2586 |

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八幡神社
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| 天慶五年九月創祀。朱雀天皇天慶五年九月創建にして栗原氏の崇敬厚し。境内に天然記念物の「いちいかし」樹ありて約七百年の樹齢なり。
当社の有する栗原は、4世紀頃から 柴原勝の姓を名乗る一族が支配していました。781年に栗原連を許されて右京にあって朝廷に仕へ以後この地に住み生活をしていました。その栗・・・・・・・・・・ |
| 503-2123 岐阜県不破郡垂井町栗原1868番地 |
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不破郡支部 2568 |

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