| 大跡部神社
				(おおあとべじんじゃ) | 
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                		| 摂末社祭神      |  
              			|       春日神社(かすがじんじゃ) |  |       秋葉神社(あきばじんじゃ) |  |       琴平社(ことひらしゃ) |  |       松尾社(まつおしゃ) |  |       神谷社(かみやしゃ) |  |       天神社(てんじんしゃ) |                			
            			 
            		     | 
          		
          		
            			
              			
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				    地図
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                		| 住所         |  
                		| 〒501-2605 岐阜県関市武芸川町跡部1703番地 |  
              			
            			 
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				| 由緒由来   |  
				| 創祀未詳なれども、口碑によれば、武烈天皇の皇子大迹皇子、都を遁れ出させ給ひて此の地に行啓隠れ給ひしに多年ならずして崩御ましまし、其の神霊を十善神大権現と尊称し奉祀したりと云ふ。之を明治六年社寺取調の際大跡部神社と改称して村社となる。尚此の神社の裏一円を御輿山と称し、里伝によれば、山頂には大跡部皇子の御鳳輦を隠し奉る処なりしを以て茲に碑を建て、妙見大菩薩と称し、陰暦七月二十三日には皇子祭を毎年行ふ。又其の麓に王子塚あり。之を皇子の御陵墓と称し来りしにより、嘉永年間恵利寺住僧禮源和尚同寺の古記録により、此の塚に大跡部皇子の陵なる碑を建立せられたり。此の古記録は其の後住僧転住の際持ち去られたるも、其の後編纂したる恵利寺由来記等により前記事実を知れり。本社頭には嘉永年十善神大観音と刻印せし石灯籠あり。文化七年二月再建せし棟札あり。昭和五年十二月二十八日に春日社、琴平社、秋葉社、天王社、の合併昭和六年五月二十二日には松尾社、天神社を合併して境内の整備を行った。 |  
              			
				 
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