
|
|
神明神社
|
詳細
|
| 創立年代は不詳である。古老の口伝によると、椋椅(くらはし)某が此の地にきて田畑を開墾し、谷水を使った。地名も「田谷」といい、通称「田谷宮」と里人等に親しまれた。部落の名も「くらはし」から藏柱と改名されたのである。
承久年間より江馬家の領主の庇護により石浦・田谷(上・下)・沖田・かじや・下垣内の各集・・・・・・・・・・ |
| 506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱4560番地 |
 |
|
吉城郡支部 1280 |

|
|
秋葉神社
|
詳細
|
| 並松は中仙道から飛騨へ行く重要な道の町並みであり、昭和初期まで栄え諸商店が林立していた。町並みがあれば一旦火災が生ずれば類焼が避けられず、火を鎮めることは重要であった。遠州の秋葉本宮より分け御神霊を頂き並松の町並みを望む山復に秋葉神社を建立し、この地の守護神とした。所謂御旦那集が多く例祭時には山車が・・・・・・・・・・ |
| 508-0101 岐阜県中津川市苗木字並松4659番地 |
 |
|
中津川市支部 2225 |

|
|
若宮八幡神社
|
詳細
|
| 創祀未詳。里伝に依れば、二条天皇平治元年十二月源義平当地傘松城に籠城し、武運長久祈願の為本社を創立し、尊崇せりと、又一説に本社は仁徳天皇六五年両面宿儺退治として難波根武振熊命、勅を奉して当地に至り、巨魁平定の為祈願斎場の遺跡、日影山の麓宮平に聖武天皇の御宇、勅を下して八幡宮を祭らしめ給ふとも伝へらる・・・・・・・・・・ |
| 506-1152 岐阜県飛騨市神岡町寺林1496番地 |
 |
|
吉城郡支部 1244 |

|
|
天神神社
|
詳細
|
| 明治七年各務郡神社明細帳第一大区十五小区に掲載ある(天満社とあるは本神社)神社なり。・・・・・・・・・・ |
| 501-3124 岐阜県岐阜市大洞1丁目14番20号 |
 |
|
岐阜市支部 1149 |

|
|
七社神社
|
詳細
|
| 創立旧記伝来無之故に不詳と雖も氏子家記を見るに古来は各別社なりしに天正二甲戍年二月十五日字西ケ花諏訪明神へ字杉森八幡大明神を移し奉る其際に伊勢大神 春日 加茂 津島 稲荷 の五柱を一所に合祀し七社宮と改称せし由也 其以前八幡大神は字杉森に鎮座あり再創立は文明六甲午年二月十五日と記せり 此の八幡は古来・・・・・・・・・・ |
| 501-2105 岐阜県山県市高富2508番地 |
 |
|
山県市支部 1743 |

|
|
宇波刀神社
|
詳細
|
| 垂仁天皇の御世創建。延喜式神明帳に安八郡宇波刀神社とあるは当社なりと云ふ。社号を亦伊勢大神宮或いは内宮、亦伊久良河宮とも称す。垂仁天皇の御世倭姫命天照大神を奉し、美濃國に遷幸の時、当國に四年奉斎し、次に尾張國に遷り給ふと云ふ。其の事日本書紀に倭姫命世記元々集等に詳なり。当社神鏡裏面の中央に宇波刀神社・・・・・・・・・・ |
| 503-0114 岐阜県安八郡安八町森部373番地の10 |
 |
|
安八郡支部 38 |

|
|
水穂神社
|
詳細
|
| 創祀未詳。元住吉神社と称せしが、明治四十年六月一日字水ヶ洞村社小坂神社を合併して水穂神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-4213 岐阜県飛騨市古川町下気多198番地 |
 |
|
吉城郡支部 1315 |

|
|
越原神社
|
詳細
|
| 創立年記不詳なりと雖も、里伝に応永の頃牛頭天王を勧請奉斎せられ、近村広く崇敬厚かりしと云ふ。後天災地変相続き、社殿も荒廃に帰せり。貞享二年に至り、庄屋安江三右衛門近村崇敬者の奉賀により社殿を再建し、祭事も盛大に執行せり。以後歴代の庄屋度々社殿及鳥居の修理せられし棟札あり。文政七年三陽の蹇女各地を巡り・・・・・・・・・・ |
| 509-1301 岐阜県加茂郡東白川村越原501番地 |
 |
|
加茂郡支部 522 |

|
|
蘇原神社
|
詳細
|
| 慶長十七年創祀。慶長十七年創立旧牛頭天王、白髭大明神と唱へありし処明治二年許可により村社蘇原神社と称す。・・・・・・・・・・ |
| 509-7209 岐阜県恵那市笠置町毛呂窪字中田493番地 |
 |
|
恵那市支部 1585 |

|
|
大山神社
|
詳細
|
| 創祀未詳、延宝2(1674)年4月再興の旧記あり。
大正10年倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって五社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣・悪疫退散を祈願した。現在も倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されている。そこで奉納さ・・・・・・・・・・ |
| 508-0351 岐阜県中津川市付知町字大山3271番地の1 |
 |
|
中津川市支部 2248 |

|