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金刀比羅神社
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詳細
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| 当金刀比羅神社は、香川県仲多度群琴平町に鎮座する、金刀比羅宮より、当時の日比野村恵比寿岩に金刀比羅大神を奉齋されると口碑あり。天保13年可知若狭正藤原重美が、天満大自在天神宮を合祀し、明治の始め社を再営し、神仏分離により日比野村お竜渓(おりうけ)より、木花佐久夜比売命を合祀し、安産の神並に物を生み出・・・・・・・・・・ |
| 508-0101 岐阜県中津川市苗木字並松4600番地の39 |
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中津川市支部 2233 |

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八幡神社
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詳細
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| 御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。四十一年二月崩ず。後聖武天皇神亀四年豊前國宇佐郡菱形山に神宮を建て、廣幡八幡大神と奉称し、清和天皇貞観元年山城國久世郡・・・・・・・・・・ |
| 509-3202 岐阜県高山市久々野町小屋名字藤口1525番地 |
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大野支部 2168 |

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八幡神社
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詳細
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| 天慶五年九月創祀。朱雀天皇天慶五年九月創建にして栗原氏の崇敬厚し。境内に天然記念物の「いちいかし」樹ありて約七百年の樹齢なり。
当社の有する栗原は、4世紀頃から 柴原勝の姓を名乗る一族が支配していました。781年に栗原連を許されて右京にあって朝廷に仕へ以後この地に住み生活をしていました。その栗・・・・・・・・・・ |
| 503-2123 岐阜県不破郡垂井町栗原1868番地 |
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不破郡支部 2568 |

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雷公神社
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詳細
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| 創建年月不詳。大正四年十二月一日アガケ無格社山神神社を合併す。古来村社なり。・・・・・・・・・・ |
| 501-2303 岐阜県山県市片原747番地 |
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山県市支部 1807 |

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神明神社
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詳細
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| 創立年月日は不詳なれども、徳川中期之頃天祖天照大神の御神徳を崇敬して郷土鎮護の神として奉鎮せるが創祀ならん。・・・・・・・・・・ |
| 501-6065 岐阜県羽島郡笠松町門間字東出640番地 |
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羽島支部 182 |

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浅間神社
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詳細
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| 創建年紀は不詳である。元浅間権現社と云ひ、世俗に富士の宮と云ふ。明星輪寺明細記録に浅間権現社二尺七寸高五尺境内東西二十三間南北四間三尺但し一反一畝三歩右古跡にて御座候。禰宜無御座候修善寺持ちとあるが、按ずるにこれ明治初年廃社となった上富士権現社との誤記で御扱いかと察せられる。濃州赤坂宿記録によると富・・・・・・・・・・ |
| 503-2213 岐阜県大垣市赤坂町2940番地 |
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大垣市支部 2081 |

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冨士神社
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詳細
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| 養老元年正月駿河國冨士郡浅間神を勧請す。(天之水分神・國之水分神)は創立不詳明治四十一年九月七日無格社字足谷鎮座を合祀。(白山比□羊神)は天正十三年八月二日創祀。字奥山口に鎮座明治四十一年九月七日合祀。・・・・・・・・・・ |
| 501-3601 岐阜県関市上之保字栃ケ平6099番地 |
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武儀支部 2665 |

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八幡神社
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詳細
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| 寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
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| 509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
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中津川市支部 2297 |

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若宮八幡神社
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詳細
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| 創祀不詳。慶長七年九月再建の棟札あり。・・・・・・・・・・ |
| 505-0041 岐阜県美濃加茂市太田町字若宮3034番地の1 |
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美濃加茂市支部 2436 |

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八幡神社
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詳細
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| 御祭神応神天皇は武運長久、家内安全、五穀豊穣の神として氏子の崇敬篤く永年に亘り讃仰しきたれり、殊に氏子の住む北柿ヶ瀬及び南柿ヶ瀬の治水不備の往時、現長良川の古川と戸羽川及び板屋川の合流点に在りて洪水或は堤防の欠壊等に困る水害を繰り返す所謂水害の常襲地帯のため農耕、水難鎮護の神とし崇敬し来たり、氏子の・・・・・・・・・・ |
| 501-1133 岐阜県岐阜市北柿ケ瀬144番地の1 |
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岐阜市支部 1073 |

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